というのを取り敢えずメモしておく。
ポリティカルコレクトネスは、言葉遣いのルールを強いることによって、各個人がどういう表現を選ぶかという政治的選択から人々を免除します。わたしが望むのは、ポリティカルコレクトネスという非政治化とは反対の方向の、表現の政治です。「悪意はなかったのだから」「たまたま間違えただけではないか」というのも、ポリティカルコレクトネスと裏返し(=政治的に正しい表現のルールを知らなかっただけではないか)の非政治化であると思います。
http://d.hatena.ne.jp/macska/20080911/p1
これは法によって正義を代替してしまう傾向と関連しているかも知れない*1。ともかく、PCが支配する世界というのは、(成文法かどうかは別にして)法とその執行(行政)のみがあって、政治というような〈非効率〉なものは存在しない世界なのだろう。異論や争論の可能性がない場所では政治は存立しえないからだ*2。政治の抹消に対する理論的抵抗ということでは、Bonnie Honigの Political Theory and the Displacement of Politics*3をマークしておくべきか。

Political Theory and the Displacement of Politics (Contestations)
- 作者: Bonnie Honig
- 出版社/メーカー: Cornell Univ Pr
- 発売日: 1993/05/01
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*1:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050711 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060206/1139243584 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060305/1141533149 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060325/1143286174 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061122/1164224217 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061220/1166596084 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070904/1188925086 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071024/1193204480 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071121/1195614055 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080502/1209661435 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080605/1212640212 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080904/1220503480
*2:法にしても、そもそもその法が侵犯される可能性を前提にしている筈だ。