PCによる「政治」の抹消(メモ)


ポリティカルコレクトネスは、言葉遣いのルールを強いることによって、各個人がどういう表現を選ぶかという政治的選択から人々を免除します。わたしが望むのは、ポリティカルコレクトネスという非政治化とは反対の方向の、表現の政治です。「悪意はなかったのだから」「たまたま間違えただけではないか」というのも、ポリティカルコレクトネスと裏返し(=政治的に正しい表現のルールを知らなかっただけではないか)の非政治化であると思います。
http://d.hatena.ne.jp/macska/20080911/p1
というのを取り敢えずメモしておく。
これは法によって正義を代替してしまう傾向と関連しているかも知れない*1。ともかく、PCが支配する世界というのは、(成文法かどうかは別にして)法とその執行(行政)のみがあって、政治というような〈非効率〉なものは存在しない世界なのだろう。異論や争論の可能性がない場所では政治は存立しえないからだ*2。政治の抹消に対する理論的抵抗ということでは、Bonnie Honigの Political Theory and the Displacement of Politics*3をマークしておくべきか。
Political Theory and the Displacement of Politics (Contestations)

Political Theory and the Displacement of Politics (Contestations)

ところで、「もし仮に世の中の不公平や不正義の全てを裁く裁判所なんてものがあったら−−実際にはそれは論理的に不可能なので、それを目指す裁判所、あるいはそれを自称する裁判所、ですが−−それこそ恐ろしい」*4には星2つ。