差別と比喩(メモ)

http://henrryd6.blog24.fc2.com/blog-entry-487.html *1


またまたOh, Henry*2とその仲間。今回は布引洋aka. 「逝きし世の面影」*3。Oh, Henryのコメント欄で、例えば「たんぽぽ」さん*4を貶めつつ、「たんぽぽ集団の行動様式と思考形態は、在日朝鮮人とも共通するものです」云々と述べている。
差別表現は多くの場合、不適切な比喩の濫用の問題だといえる。誰か特定の男性を貶めようとして、〈あいつは女の腐ったような奴だ〉という。これは女性を貶めつつ、それをそのままターゲットの男性に転用している。また、昔よく言われていた〈岩手県は日本のチベットだ〉という表現。これもチベットを貶めつつ、岩手県にそれをそのまま転用している。さらに、日本の左翼による実在の差別発言を挙げておこうか――東大闘争の時の大内兵衛による「東大は特殊部落」発言。こうなると、上の「たんぽぽ集団の行動様式と思考形態は、在日朝鮮人とも共通するものです」という言明の差別性は明らかだろう。先ず「在日朝鮮人」をネガティヴなシンボルとして喚起して(貶めて)、それを「たんぽぽ」さんにそのまま転用しているからだ。
差別表現はたんに人権問題だとかに還元されるべき問題ではない。布引洋のも含めて、どれもイージーで俗情に媚びた言葉遣いである。差別表現への批判は凡庸への批判として文学的な意味を持つといえよう。布引が糾弾されなければならないのは、イージーで俗情に媚びた言葉遣いを無造作にしているからでもあるのだ。