http://d.hatena.ne.jp/lever_building/20080831#p1
最初に申し上げると、全体的な主旨にはあまり賛成できない。というか、プライヴェートなものへの欲望を資本主義的・ブルジョワ的な虚偽意識だと切り捨てるような思考はとても危険であると思う*1。
先ず私にとって、公共的な風呂というのは、ほんのときたま温泉に行くとか、非日常的なものであり、だからいいんじゃないかとは思っている。それに銭湯ではセックスもできないし。ここまでは私的な趣味にすぎないのだが、東京の下町出身の人に聞いたことだけど、かつての下町では家に風呂のある人も〈社交場〉としての銭湯にわざわざ社交のために出入りしていたわけで、銭湯の衰退*2というのは、これもたしかに資本主義システムの変動という枠の中にはあるのだろうけど、「わたしたちの くらしの べんりさを うばったうえで、べつの 「べんりさ」を 「かわりに」 わたしたちに あたえるのです」ということよりも、町内的な社交の衰退*3と関係があることになる。
プライヴェートなもの、或いは私有財産の話に戻る。アレントの『人間の条件』の中の議論に、「財産(property)」と「富(wealth)」の区別というのがあり、近代というのは国家とか資本によって「財産」が接収され、「富」へと転換させていく過程でもある云々ということが論じられていたか。そこでは、有名なプルードンの〈財産とは盗みなり〉という言葉も紹介されているのだが、プルードンを(マルクスの何倍も)尊敬していた筈のハンナおばさんのコメントはたしか、プルードンが生きた時代にはこの「財産」から「富」への転換は既に徹底的に完成されていたのだというようなものだったと思う*4。「財産」に関連して、そこにおける〈所有〉は(近代的な財産ならぬ「富」の所有のように)能動的なものではないし、私は「財産」に対して〈主権〉を行使できるわけでもない*5。極端なことを言えば、私が「財産」を所有するのではなく、「財産」が私を所有するとさえ言えるのかも知れない。
- 作者: Hannah Arendt
- 出版社/メーカー: University of Chicago Press
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*1:例えばhttp://d.hatena.ne.jp/zarudora/20080613/1213385065も。
*2:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080716/1216187076
*3:勿論、その背後には、商店街や、さらには自営業というものの衰退ということがあるのだろう。See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070623/1182592802 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070819/1187533864
*4:財産/富の区別については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070321/1174455126も参照されたい。
*5:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060317/1142618237 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070923/1190518210 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070316/1174048999