速水健朗「哀しい大人になってしまった…夏」http://www.hayamiz.jp/2008/08/post-b96b.html
ここでは稲垣潤一「思い出のビーチクラブ」(売野雅勇作詞)と杏里「最後のサーフホリデー」(吉元由美作詞)が言及されている。しかしながら、特に「最後のサーフホリデー」には違和感がある(勿論、稲垣潤一の方にもだが)。何故「避暑地」で「サーフホリデー」なんだよ。「避暑地」でサーフィンするか。つまり、夏のリゾートの二大類型としての避暑地と海のリゾートがイメージにおいて混同されている。1980年代においては、この2つは大衆化されたナンパ目的の場所としても明確に区別されていたように思える――新島と山梨県清里。
夏の海のリゾートは暑さを避けるためではなく、寧ろ暑さ(太陽)を求めて行くものじゃないだろうか。夏の海のリゾートはそもそも北方人の南方幻想に基づいているのだが、それはともかくとして、肌の露出、性的規範の緩み(アヴァンチュール)といった(ステレオタイプといってもいい)イメージの連鎖が容易につくりだされる。そこは、何があっても、(郷ひろみが歌っているように)熱い太陽のせいだよと正当化されてしまうような空間である。ヨーロッパでいえば仏蘭西のニースや西班牙のイビザ、米国人の幻想に従えば、布哇であり、フロリダを含むカリブだということになる。
それに対して、避暑地は海に対して山(高原)である。恋愛についても、海のリゾートのアヴァンチュールというイメージとは(少なくとも日本について言えば)少々様相を異にする。今上天皇の皇太子時代の軽井沢における恋愛→結婚ということが象徴するように、避暑地というのは上流階級が自らの子女を放し飼いにしてマッチングさせる、結婚戦略の要、或いは恋愛を家父長制によって飼い慣らす場所というイメージがある。さらに言えば、(これは現在意識されているのかどうか知らないが)避暑地の起源はサナトリウムであり、結核という浪漫主義的な病と結びついている*1。堀辰雄、『風立ちぬ』の世界である。話はずれるが、江藤淳が『昭和の文人』において堀辰雄を強く批判していたことは印象的。
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この曲は「避暑地」の歌なのだが、曲の方はホーン・セクションが利いたけっこう南っぽい曲に仕上がっている。因みに、この曲で初めてカンパリという飲物を知ったのだった。
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バブル時代のリゾート・ブームといえば、越後湯沢の駅前にリゾート・マンションなるものが林立したということがあったが、それらはその後どうなったのか。また、1990年代に入って売れなくなった那須の別荘分譲地が産業廃棄物の投棄場所となってしまったということがあった。
そういえば、ユーミンでいえば「晩夏(ひとりの季節)」が似合う時期だ;
さて、この歌の「葉鶏頭」はいつ聴いても、禿伊藤に聞こえてしまう。
See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071205/1196821201
*1:結核と浪漫主義については、福田真人『結核という文化―病の比較文化史』、スーザン・ソンタグ『隠喩としての病い』などを参照されたい。
*2:http://www.hayamiz.jp/2006/04/1_30e4.html
*3:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080812/1218508991