占い問題

『毎日』の記事;


個人情報:担任が占師に児童の障害相談 秋田の小学校


 秋田県男鹿市の小学校に勤務していた男性教諭(40)が、特別支援学級の男子児童について、保護者に無断で名前や障害の程度などを占師に告げ、治療方法を相談していたことが分かった。教諭は「子供の障害が良くなればと考え、相談した」と市教委に説明している。

 市教委学校教育課によると、教諭は07年初め、神奈川県内の占師を訪問。児童の名前や生年月日、障害の内容などの個人情報を伝え、「どうしたら良くなるか」と占いを申し込んだ。インターネットの「病気が治った」という書き込みを見て、この占師を知ったという。

 教諭が同4月、「占いで、岡山の治療師のところに行けば治る可能性があると言われた」と保護者に話したため、不審に思った保護者が学校に相談して発覚した。市教委と教諭は保護者に謝罪し、占師に連絡して個人情報を削除してもらったという。

 教諭は06年4月から同校の特別支援学級を担任しており、今春に県内の他の学校に異動した。同課は「保護者に無断で個人情報を漏らし、占師に頼ったことは不適切だった」と話している。【百武信幸】

毎日新聞 2008年8月24日 18時39分(最終更新 8月24日 20時52分)
http://mainichi.jp/life/edu/news/20080825k0000m040024000c.html

問題は「占い」というよりも生徒の個人情報を占師に漏らしたことにあるのだろう。
秋田県の(なまはげ*1がいる男鹿から神奈川へと、すごい手間暇をかけているわけだが、疑問なのは、この教師が生徒の問題について上司とか同僚に相談しなかったのか、それともできなかったのかということだ。
ところで、「占い」を非合理的だとかいって否定したりはしない。ただ、この先生の場合、普通占いに頼る状況とはちょっと違うようだが。君子が自ら思考しぬいたにも拘わらず結論が出ないときには「大疑」という世界からの一種の疎外状態に陥ってしまう。その疎外状態から脱して世界と和解するためにこそ、君子は易を立てなければいけない。王船山によればそうである(高田淳『易のはなし』)。この意味における「占い」というのは全く非合理ではない。合理的に考えを詰めて、選択肢を絞って、それぞれのリスクを検討しても同じくらい。しかし、どちらかに決めなければならない。どうするのか。「占い」に類するものによって決めるというのは大いにありうることではないのか。コインの裏表とか。君子でなくても、「占い」に頼るときは、既に選択肢が絞られていることが多いのではないか。例えば、結婚する/しない、株を買う/買わない。さらに、君子ならざる小人にとっては、自分で決めたのではないということで、責任を回避できるというメリットもある。この先生の場合、「どうしたら良くなるか」と尋ねている時点で、そうしたパターンとは違っていたようだが。
易のはなし (岩波新書)

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