石原慎太郎についてメモ

石原慎太郎(及び石原裕次郎)については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060410/1144636844http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060430/1146374995http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060831/1157027021http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060918/1158548179http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061106/1162827266http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061111/1163243740http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061118/1163845906http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070225/1172421318http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070415/1176606885http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070418/1176869274http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070516/1179339586http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080114/1200293046とかで言及したことがある。
最近、少し古い(去年の都知事選挙の頃の)言説であるが、「戦後経済成長を映す慎太郎セカイ」と題する、


厳然とした上流でも特権階級ではない石原家は、父親の時代から中川派を引き継いだ国会議員時代迄いってみればいつも傍系を歩いてきた。それだからこそ日本を護れなかった古色旧弊たる上流や、漢籍権威な中国や、お文化をふりまくフランスや、物量にモノいわせるアメリカに反発をしまくり、上昇して地位を脅かそうとする下層/よそ者を追い立てることで、自己のプレゼンスを計り、立位置を創る。大学在学中に父親が死亡するとたちまち行き詰まった一家の生活の為に、作家デビューをはたし、脚本を書きゴロツキの弟を売り込んで映画スターに仕立てた。それと、教科書にスミを塗り全て自分達で作り上げた「生活の匂いがしない文化」=戦後高度経済成長。その経過全てが石原兄弟ストーリィ=新中間層の上昇物語となって、「石原慎太郎」という表象がセットされている。

性別を問わず中高年にとっては「イシハラ将軍が都知事だから」支持するのではなく、正確にはウザい旧弊を打ち破ってエラくのしあがったスターだから、慎太郎と共に人生を重ねて来た自己確認/自己肯定の増幅装置だからなのだろう。
http://d.hatena.ne.jp/hizzz/20070408#p2

というのを読んで、とても興味深かった*1
佐野眞一『てっぺん野郎―本人も知らなかった石原慎太郎』という本に依拠しているらしいのだが、私はまだこの本を読んでいない。ところで、青木保『日本文化論の変容』に石原慎太郎への言及はあったのだろうか。忘れてしまったぞ。思い出し序でにメモしておくと、竹内洋教養主義の没落』で、戦後における「教養主義」への引導の魁として石原慎太郎に言及されていた。また、石原兄弟と換喩的なイメージの連鎖をなしているコロニアルな社会としての「湘南」を巡っては、烏賀陽弘道『Jポップの心象風景』の中の桑田佳祐論とか。
教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)

教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)

Jポップの心象風景 (文春新書)

Jポップの心象風景 (文春新書)

なお、石原裕次郎については、(別の視点から)http://d.hatena.ne.jp/Domino-R/20080519で言及があり。