承前*1
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20080120/1200800305にて知ったのだが、4つの目を持っているという人が
と書いている。この人がどういう人なのかは知らないけれど、「陰謀理論」を信じる人の特徴がよく現れていると思う。要するに、〈偶然〉(或いは、兵学などで〈勢〉というものを認めることができない。〈偶然〉を認めることができないから、〈必然〉を求めてトンデモ道に踏み込んでしまう。たしかに、一見偶然に見えるものからその原因を探求したり、何か法則性(規則性)を見出そうとするのは科学的な態度というか、科学というものの始まりではあろう。でも、こういう人は真っ当な科学の道を歩むことができない。それは〈主体主義者〉だからである。つまり、出来事の起点には(個人であれ集団であれ)〈主体〉があって、その意志(will)の実現として出来事が生起していると考えてしまう。ここでも、「真実隠蔽したい派の人間」という〈主体〉を捏造している。「陰謀理論」と〈主体主義〉の関係については(何度か引用したかもしれないが)、
最近、中堅政治ブログのいくつかで、911のことや、ケムトレイル、気象操作等について、トンデモ話といって誹謗してるサイトが出てきたようです。
とくにうちのブログ名を出してるとこ、名前までは直接出してないとこ、いろいろですが・・
いずれもそういうところを見ると、頭ごなしにトンデモ論と言ってるだけで、米国公式文書はじめ証拠として挙げてることに関して根拠を述べて批判してるところはなさそうですw
以前、某地震掲示板にケムトレイルのことを書き込んだ時の反応と同じようなもんやね!
別の例を挙げれば、植草氏冤罪事件のように、弁護側の証拠・証言や、検察側の言ったことに関する矛盾や疑問点などは一切取り上げず、一方的にまるでデタラメな警察発表だけを取り上げて洗脳してるようなもんです。
もちろんこれまで書いてきたこと全てが絶対正しいなどとは思ってないし、元の情報自体に誤りがあったり、推測部分に関しても私の単なる思い込みといったこともあるだろうとは思う。ただ、こういうことに全く触れない政治ブロガーというのは、単に無知なだけか、うすうす知ってはいても怖くて書けない、知識がなくて詳しくわからない、あるいはこういうことを書くと変な目で見られて人気が落ちる・・といった理由からかと思ってたけど、今回の場合はそういうのじゃなく、どうやら真実隠蔽したい派の人間が、反自民の政治ブログを隠れ蓑にして活躍してるってことだろうと思う。
あるいは、重大なことにみんなが気付きかけた時、それらから目をそらせるために別の事件等を話題にしてそっちに注目を向けさせるとかいった、マスゴミと同様の・・・
http://310inkyo.jugem.jp/?eid=635
と書いた。
さて、私見では、「陰謀理論」の前提にあるのは、個人にせよ集合体にせよ、〈主体〉の力能への過信である。そもそも自らの〈主体性〉に自信のある人は「陰謀理論」にはあまりはまらないだろうけど、自らにはそのような力能はなくても、どこかにオムニポテントな個人的・集合的〈主体〉がいる筈だという願望的確信が抱かれる。特に、自らの〈主体性〉が危機的状況にあると感じている人にとって、「陰謀理論」は自らの剥奪された(と妄想されている)オムニポテントな〈主体性〉が実在若しくは架空の〈主体〉に投影されているわけである。「陰謀理論」というのは、〈主体性〉の崇拝であり、その限りでは〈ヒューマニスティック〉であるといえよう。或いは浪漫主義的ということだろうか。そういえば、浪漫主義の時代というのは、〈天才〉という個人的な〈主体〉とともに例えばネーションというような集合的な〈主体〉が構築された時代でもある。「陰謀理論」のもう一つの機能というのは、主観的というか想像的な〈勝利〉をもたらすということである。「陰謀理論」を唱える人・信じる人にとって、(所謂エリートも含めて)世人はオムニポテントな「陰謀」の〈主体〉によって欺かれており、自分はといえば、「陰謀」によって世の中を好き勝手に操作する力能はないけれども、少なくとも「陰謀」に気付き、それを見抜いているということになる。何かしらロマンティック・アイロニーに似ていなくもない、この〈勝利〉によって傷つけられた〈主体性〉は幾分か癒されるというわけだ。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050904
ところで、別のエントリー(これも歴史学専攻の方に啓蒙の一撃を加えていただきたいのだが)で幕末維新を巡って、
という一節がある。これが本当だとしたら、薩長とつるんでいた英国と幕府とつるんでいた仏蘭西は実は裏でしめし合わせていたということになるの? それ以前に、「欧米は」という主語を使っている時点でアウトだろうと思う。米国とヨーロッパとの関係は複雑なものだけど、少しだけほぼランダムに述べておく。米国の革命当初からの外交的課題は如何にしてヨーロッパ諸国の利権争いや介入を回避するかというものだった。また、そもそも米国の半ば神話化されたアイデンティティは腐敗堕落したヨーロッパからエクソダスして神の下の理想国家を作るということなので、米国の社会意識には常に幾らかの反ヨーロッパ感情はある。それは最近イラク戦争を巡ってウヨ米国人の間で再度活性化して、それに乗って(或いはそれを煽って)ブッシュが再選されてしまったということもある。では、米国とは〈仲良し〉に見える英国はどうなのか。「欧米」を英米に縮減してしまうのはそもそも問題ありすぎなのだが、取敢えず気にしない。しかし、英米というのを19世紀の状況に当て嵌めるのは現在を無自覚的に過去に投影しているにすぎないだろう。米国というのは英国と革命戦争をやって建国された国だということを忘れてはいけない。このとき革命に反対して英国を支持した人々はカナダに移ってしまったわけだが。日本の幕末に当たる時期というのはその革命から100年経っていない。少なくとも19世紀においては、米国と英国は〈仲良し〉ではなかった。19世紀前半には英国軍によってホワイト・ハウスが焼き討ちされているし、また南北戦争では英国が半ば公然と南部を支持するということもあった。この話は中途半端に打ち切り。
欧米は、元々とくに争いもなかった我が国に対し内戦が起こるように仕向けた上、幕府軍、討幕軍双方に武器を売りつけてボロ儲けするとともに、最終的に自分らの言いなりになる方に勝たせるように仕向け、昨今世界中で起こってる紛争と同じ構図とも言える。
(当時の日本支部ともいうべきグラバーによる策略)
http://310inkyo.jugem.jp/?eid=631