「誰もが小室哲哉」?

昨今何かと話題の「初音ミク」って奴、サンプリング・テクノロジーの一つの発展形ということでよろしいのでしょうか。巧く表現できないけれど、もしかしたら、サンプリング・テクノロジーの重要な可能性を封じ込めてしまっているのかもしれない。
それはさて措き、「打ち込み」系の音楽だけれど、それがhttp://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20071221#p1で述べられているようなものだとしたら、つまらねぇと思うし、さらに反動的とさえいえると思う。何故なら、それは既成の〈音楽〉をただ反復しているだけで、そのことによって〈音楽〉にさらなる権威を賦与してしまっているのではないかと思うからだ。或いは、既に〈外部〉が浸透してしまった〈音楽〉を、模倣することによって純化してしまっているといってもいいかも知れない。エリック・サティにしてもジョン・ケージにしても、20世紀の音楽の課題のひとつは19世紀に構築されてしまった音楽/非音楽という境界を脱構築することだった。このことに意識的でない「打ち込み」というのは、たんに〈音楽〉における経費節減、大量生産の手段にすぎないといえる。