
- 作者: 矢野暢
- 出版社/メーカー: 阪急コミュニケーションズ
- 発売日: 1986/05
- メディア: 単行本
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家にあった(というか昔古本屋のワゴンで見つけて、そのまま積んであった)『「酔い」の政治学 劇場国家はどこへ』(TBSブリタニカ、1986)を読んだら、かなり面白かった。前半では、「なんらかの外からの摂取物によって、理性が多少とも麻痺し、超自我的感覚にいざなわれること」(p.18)と「酔い」が定義され、自ら呑みながら書いたお喋りが次から次へと展開されていく。例えば「社会的行為としての酒盛り」(p.39ff.)とか、日本は「ブレンド国家」である(p.65ff.)とか。また、
とか。ともかく、酒とか「酔い」についての社会科学的なテクストを書くとしたら、この本は必須の基本的参照文献になるだろう。
要するに、日本の社会では、自分を殺して社会に順応する儀礼としての「モル」という窮屈なかたちが、なによりも尊ばれる飲酒のかたちであったのだ。そもそも全体主義的なこの日本では、ひとり酒は、陰湿な、こそこそしたイメージにつながり、ふたり酒は、(略)倒錯した誠実さ、あるいはこざかしい政治戦術につながる、というふうに考えられがちなのである。(p.57)
矢野暢は1980年代に「劇場国家」という言葉を流行らした。本人もクリフォード・ギアーツ*1の用語とは無関係であると明言していたが、当時はギアーツの本は殆ど翻訳されていなかった*2。この本の後半は、音楽、特に日本におけるクラシック受容を素材にした「劇場国家」論の応用篇といえる。その中の中心は、「山田耕筰の「罪と罰」」という山田耕筰論(pp.98-121)ということになる。著者の死後に、また晩年のセクハラ問題も念頭に置いて読むと、著者が山田耕筰の「女性の扱い方」が「獣的」であったこと(p.114)をかなりのスペース(pp.113-117)を割いて論じているのは興味深い。同じ著者の『劇場国家日本』もやはり古本屋で買って、そのまま積んであるのだが、これは本のタワーを全面的に解体しなければ取り出せない位置で眠っている。

- 作者: 矢野暢
- 出版社/メーカー: ティビーエス・ブリタニカ
- 発売日: 1982/09
- メディア: ?
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