カルヴィニズムと結婚

フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展』*1の型録所収の論文からメモ;


カルヴァン主義の教えにおいては、結婚は、カトリックの教えとは異なり、独身主義よりも道徳的に劣ったものではなくなった。改革派教会の神学者たちは聖職者たちに独身生活を強制することを否定し、結婚とそれに基づく生殖こそが、良き人生の基準であるとしたのである。カルヴァンは、生殖の目的を越えた快楽追求のための性行為には慎重であったが、たとえ性行為が罪業であっても、それは、結婚という善によって償われ、夫と妻の間の交合は純粋で、善で、かつ神聖なものだと主張したのである。
したがって、人生においては、伴侶を得て、子供をもうけて、良き家庭を築くことが重要だとされ、家族は愛情に満ちた共同体と見なされた。もっとも、伴侶の選択において重視されたのは、男女間の恋愛感情よりも、二人の家庭の社会的地位の類似や、心性の共通性だった。妻は法律的に強い権利を有しており、夫が海外に滞在して不在であったり、死去してしまった場合には、単独で商売を行うこともできた。しかし、結婚生活においては、妻は夫に服従することが強く求められた。事実、他ならぬ聖パウロ自身が、妻の従属的立場について、「妻たる者は、主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。キリストが教会のかしらであって、自らは、からだなる教会の救主であられるように、夫は妻のかしらである。そして教会がキリストに仕えるように、妻はすべてのことにおいて、夫に仕えるべきである」(「エペソ人への手紙」5:22-24)と述べていたのである。ただし、その一方で、改革派教会の理解によれば、男も女も神の下では平等であるとされており、結婚生活における夫と妻の協力、協調が重視された。(中村俊春「家庭を描いた17世紀オランダ風俗画の中の主婦と女の使用人」、p.37)
この道徳的基準に基づき、風俗画においては、良妻/悪妻、賢母/愚母が描き分けられることになる。