Jean Bricmont sur socialisme et imperialisme

http://tu-ta.at.webry.info/200709/article_2.htmlにて知る。


Jean Bricmont「21世紀の左派に告ぐ」(土田修訳)http://www.diplo.jp/articles07/0708-2.html


ブリクモンといえば、かつてアラン・ソーカルと組んで、所謂Pomoを撫で切りにした人。今年の仏蘭西大統領選挙での左派の敗北を承けて書かれたこのテクストで斬られているのは、左翼としての〈優先的課題〉から逃亡して、「道徳」、「反人種差別やフェミニズム、反ファシズムなどの「価値観」」に逃げ込んだ左翼である。曰く、


政治的運動体が成功を収めることができるのは、自己の主張を信じている場合に限られる。右派の場合に勝利したのは、サッチャー言うところの「ぬるい」保守派、つまり多かれ少なかれケインズ主義的な立場の保守派ではなく、がちがちの強硬右派路線を取る勢力だった。左派の場合、穏健右派の政策を主張するにとどまる限り、勝利のチャンスはない。事態を変えるためには、左右の対立の根本に立ち戻らなければならない。対立の根本は「価値観」の問題、とりわけフェミニズムや反人種差別のように、現代の右派が完全に受け入れる準備ができている問題にはない。左右を分かつのは、経済の統制という基本問題である。
また、

社会主義がもはや、だれの興味も引かないと考えるのは間違いである。今なお左派が支持される分野があるとすれば、公共サービスの擁護や労働者の権利の擁護にほかならない。それこそが、資本所有者の権力に対する今日最大の闘争手段であるからだ。ヨーロッパ建設に暗黙のうちに含まれている政策プログラムは、民主主義的な見かけだけは残しながら、社会保障や普通教育、公的医療からなる「社会民主主義の楽園」の破壊をもたらすに至ったが、これらの制度は社会主義の萌芽的形態であり、現在も人々に大きく支持されているものだ。
正面から「社会主義」を掲げよということである。
では何故「社会主義」が表面的には消えてしまったのか。ブリクモンはその答えを「帝国主義」に求める;

 「自由主義的」思想家たちは、社会主義への移行が先進資本主義国家で予定通りには起きなかった、と指摘することで、カール・マルクスを批判してやまない。彼らへの反論は、われわれのシステムが単に資本主義であるばかりでなく、帝国主義でもあるということだ。ヨーロッパの発展は、広大なヒンターランド(後背地)の存在なくしてはありえなかった。このことの意味を理解するには、ヨーロッパが地球上に出現した唯一の陸地であり、アフリカ、アジア、アメリカなど残りすべてが大海だったと想定してみればよい。そうなれば黒人奴隷貿易も、ラテンアメリカの金鉱も、北米への移民もなかったことになる。われわれの社会が、労賃の安い国からの輸入や移民という形で原料や安価な労働力の恒常的な流入を得ることも、南の頭脳が北へと流出し、崩れゆく教育システムの穴埋めをすることもない。その場合、われわれの社会はどうなっていただろうか。これらすべてがなかったら、われわれはエネルギーを大きく節約しなければならないし、労働者と経営者の力関係は根本的に違ったものになっていただろう。「余暇社会」の出現など不可能だったはずだ。

 社会主義の実現が20世紀中に達成しなかった最大の理由は次の通りである。資本主義の下で一定の文化的、経済的発展を遂げ、民主主義的な要素が生まれ、したがって資本主義の超克が可能であり必要でもあった国々は、同時に帝国主義システムにおける支配的諸国であった。この帝国主義は二重の帰結をもたらした。ひとつは経済的な帰結である。支配的な国々は、もし存在しないとしても今後出現する可能性のある問題の一部を「周縁国」に移転することができた。もうひとつは、世界規模での労働者の分断という帰結である。西欧の労働者たちは、南の労働者よりも常に良い生活条件を得ることで優越感を持つようになり、それがシステムの安定化に寄与してきた。

この状況が現在変わってきているのだという。20世紀以来の脱殖民地化、「南側諸国の自立化」である。曰く、

となると、資本を支配することでアジアの労働力を搾取できるようなグローバリゼーションの「勝ち組」と、そんな力のない西欧の大多数の人々の間で、紛争が激化していくことが予想される。生活の場がほかにあるわけではない大多数の西欧人は、自らの労働力を売らざるを得ないが、その労働力価格は世界市場における競争力をもはや失った。その結果が、「排除」の増大であり、福祉国家の危機の拡大である。だが同時に、まったく新たな形の階級闘争の復活も起こりつつある。
そうした状況においてこそ、新自由主義によるサヴァイヴァルが叫ばれ、同時にナショナリズムバックラッシュ的な諸〈差別〉の復権が〈負け組〉のための〈阿片〉として機能させられていることになる。そうした状況下で左翼は何をすべきかということをブリクモン氏は述べない。また、西側諸国におけるケインズ主義的な政策の信憑性の増大或いは〈階級闘争〉の沈静化には、「帝国主義」とともに(脱殖民地化の趨勢をも取り込んだ)所謂フォーディズムの貢献が大きいと考えるが、ブリクモン氏はそれに触れない。また、たしかにイラクやイランの情勢は「世界各地の支配層に深刻な自信喪失を引き起こした」といえるが、それが「南側諸国の自立化の動き」の一環といえるかどうかは疑問である。さらに、「フェミニズムや反人種差別」が「現代の右派が完全に受け入れる準備ができている問題」であるというのは、ヨーロッパにおいてはともかく、少なくとも日本を含む亜細亜においては、その妥当性は小さいのではないかと思う。
ところで、「今日、フランスで「自由主義者」を名乗る人々が信奉しているのは、ある種の専制政治や企業経営者でしかない」という一文は意味が通じず、仏蘭西語の原文*1をチェックしようと思ったが、原文では最初の部分しかウェブで公開されておらず、果たせなかった。