小阪修平

知りませんでした。
『朝日』の記事;


評論家の小阪修平さん死去


2007年08月11日06時10分


 小阪 修平さん(こさか・しゅうへい=評論家)が10日、心室細動で死去、60歳。葬儀は親族のみで行い、後日、お別れの会を開く。喪主は妻文子(ふみこ)さん。

 「思想としての全共闘世代」「非在の海――三島由紀夫と戦後社会のニヒリズム」などの著作や評論活動のほか、「イラスト西洋哲学史」など哲学、現代思想の入門書で知られた。
http://www.asahi.com/obituaries/update/0810/TKY200708100397.html

田島正樹氏は小阪氏との出会いを

私が小阪氏に最初にお会いしたのは、1968年の春である。その年大学に入学すると同時に、民間のキリスト教系の学生寮に入った私の隣室が、たまたま氏の部屋だったのである。当時彼は、劇団駒場に属し、八面六臂の活躍をしておられたと思う。寮を留守にしている事が多かったが、少し話をしただけでも、氏の教養の広さと発想の豊かさに魅せられたものである。それが華麗なレトリックをまとって、次々に万華鏡のように氏の口からあふれてくるのである。もちろん、このような年代での二年三年の差は大きいものであるが、彼の場合はそれだけではなかった。彼が自由な精神で、既に独自な精神世界を持っていたこと、すべての知識をそのもとに掌握しつつ前進していた事が、とりわけまぶしい魅力となっていたのだと思う。氏の話はしばしば非常に高踏的で、入学したての私にはその半分も理解できなかったが、彼は別に気にする様子もなく、根気よくさまざまの疑問に答えてくれたものである。もっとも、それさえも同様に難解な説明ではあったが。私は、彼にJ.P.サルトルの哲学について、大枠のところを教わった。
http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/51087974.html
と語っている。
また、1960年代後半の知的雰囲気についての

学園闘争のさなか、小阪氏は既に原稿用紙百枚以上の膨大な論文を書いていて、その書きかけの原稿をいつも持ち歩いていた。哲学から社会学文化人類学などにまでわたる野心的なものだったと思う。もっとも、当時の学生の中では、このような観念の大風呂敷を広げるのは、必ずしも珍しいものではなかった。一年ほど無期限ストライキで授業がなかった間に、独立心旺盛な学生が、独自の勉強を推し進め、それぞれ独自の観念世界を展開するのは、むしろ普通の現象とも言えたのである。
 一年間に渡る授業の休止は、実際異常なまでに我々の学習意欲を昂進していたので、いたるところで、語学や物理学から神学にいたるまで、ありとあらゆる種類の勉強会・読書会が、百花繚乱を誇っていたのである。先達に乏しいところで、つまずかなくてもいいところに必ずつまずき、見通しにくい迷路を進むような学習では、学習効率は実際非常に低い事を、結局後から思い知ることになったものだが、かかる非効率な学習にも利点がないことはない。あらゆる可能的挫折をくまなく経験するので、いったん自分のものとした観念は、そのあらゆる側面に通暁する事になるので、それが以後どのような文脈で現われてきても、決して見間違う事がないのである。ただ、いったん袋小路に入り込んでしまうと、独力でそれを抜け出すのは容易ではない。さらに、ナルシシズムや自己満足の罠は、常に待ち構えているから、独学者の危険は、たいてい本人が気づいている以上に大きいものなのだ。私は、大森荘蔵先生という稀有な教師と出会えたおかげで、このことを身にしみて悟る事が出来た。
 小阪氏はそれから次々と哲学的著作を出版され、私もそのいくつかを手に取る機会があった。率直に言って、私の感想は、氏の哲学史が氏の思惑に反して、意外に保守的だというものである。プラトンアリストテレスの関係とか、「イギリス経験論」と「大陸合理論」の総合としてカントを捉えるとか……。私は、以前の小阪氏の高い志と洞察と引き比べて、それがやや精彩に欠け、違和感があると感じたし、出来ればそれらについて、いつか議論してみたいと思っていた。
という記述はとても興味深い。
小阪修平氏に関して、


http://shomon.livedoor.biz/archives/51098392.html
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20070811
http://petarou.blog42.fc2.com/blog-entry-188.html


を取り敢えず読んだ。前二者は小阪氏と直接面識があった方々の文章。
小阪修平氏の書く物を全く読んでいないというわけではないが、思想的にも文体的にも殆ど影響を受けたことはないといっていい。ただ、小阪氏が問題という言葉を常に漢字ではなく「もんだい」と平仮名書きしていたことは強く印象に残っている。