村八分?

Skelita_vergberさんのところで、「ヒトカラ」なる言葉を知る*1。まあ、カラオケというのは〈恥を掻くこと〉を相互で共有して、そのことで共同性なり集団の凝集性なりを高めるという社会的機能はあるのだと思う。要は〈恥ずかしさの共有〉なので、カラオケという場で見聞きしたことは原則として他言無用ということになるのだろう。勿論、逸脱されない原則はない。ところで、「ヒトカラ」ということを、晩年は〈カラオケ先生〉ということになってしまった故丸山圭三郎先生が生きていたら、どういうコメントをするかなと思ってもいたのだが、Skelita_vergberさんが引用する『毎日新聞』の記事によると、「ヒトカラ」を〈本番〉のための練習として位置づける人もいるという。この〈本番〉というのが〈のど自慢〉であるなら、映画『のど自慢』で描かれていたように、当然のことというか、さして驚くことでもない。

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しかし、ここでいう〈本番〉とは「ヒトカラ」ではない仲間とのカラオケである。たしか『文藝春秋』に載っていた丸山圭三郎先生の〈カラオケ論〉をかなり以前に立ち読みしたが、そこにはカラオケを自己表現のための真剣なパフォーマンスとして捉えている人の例として、社会学者で東久留米市長だった稲葉三千男氏が挙げられていた。そういう人ってけっこういるのかと軽い驚き。ともかく、練習としての「ヒトカラ」と純粋(?)「ヒトカラ」は区別すべきなんじゃないか。また、『毎日』の記事は「全国カラオケ事業者協会(東京都品川区)の資料によると、カラオケの参加人口は94年の5890万人をピークに減少していて、05年は4700万人」と書く。これはどういう意味を持つのか。記事では1990年代前半に「カラオケボックスのルーム数」が急増したことも書かれている。これはバブル期の地上げとバブル崩壊による更地化で、更地の低コストな使用法として「カラオケボックス」が建てられたとはいえるだろう。「カラオケの参加人口」の減少についてはどうしてなのかわからない。ただ憶測めいたものは持っているのだが、公に披露する段階ではない。「ピーク」の1994年というのは、因みにインターネットの商業利用が開始された年である。
さて、Skelita_vergberさんの別の記事*2で、新潟県関川村の「村八分」騒動のことを知る。日本のムラといっても、福武直(例えば『日本の農村』)以来、「西南型」と「東北型」の区別もあるし、
日本の農村 第2版 (UP選書 82)

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平地と山村の差異も重要であって、ムラということでとても一括りにはできない。Skelita_vergberさんが引用している『朝日』の記事の「36戸の集落」に例えば本家−分家関係が存在しているのかどうかもわからない。ただ、36戸のうち11戸が「村八分」にされているということだと、少数の逸脱者をよってたかって制裁するという「村八分」のイメージからはかけ離れている。はっきり言って、ムラは既に分裂しているといっていいだろう。ただ、別の報道(『毎日新聞』)によると、「岩魚つかみ取り大会」の「決算報告書が二重帳簿で会計が不正」というのも今回の騒動の発端にはなっているという*3
ところで、私の恩師のH先生は以前にも記したように、シカゴ学派の「農民社会(peasant society)」論を受け継いだ人であり*4、専門の西班牙農村社会のほかに、日本の山村の調査もされており、また〈狐憑き〉のような〈共同体における排除〉問題にも関心を持たれていた。そのH先生が日本のムラ社会を理解するための必読書として挙げていたのは、例えばきだみのるの『にっぽん部落』(岩波新書)や『きちがい部落周游紀行』(富山房)であり*5、また守田志郎の『村の生活誌』(中公新書)や『日本の村』(朝日新聞社)だったが、 守田志郎の本で印象に残ったのは、地主制度が生きていた頃の農村では「村八分」というのは殆ど起こり得なかったと書いてあったことだ。小作人どもが「村八分」など惹き起こして、損をするのは地主様である。だから、地主は小作人どもの争いを脅したり・宥めたりして、必死になって仲裁した。また、その仲裁能力が地主の権威を起訴づけてもいた。今回の騒動は、「有力者」が登場するとはいっても、かつての地主−小作人というような絶対的身分差ではなく、その格差は相対的なものだ。だから、或る意味では、この騒動は戦後GHQによって日本のムラ社会がなし崩し的に民主化されたことの帰結でもあるのだろう。ちなみに、今回のことは、きだみのるが示した「村八分」の要件を満たしていない。また、こういうことが起こると、自民党の先生とかが介入してきてもよさそうなものだが、ネオリベ化した自民党ではそういう能力を喪失したのか。
話は変わるが、1980年代後半から90年代前半にかけて、中国南方の農村における〈械闘〉の話がけっこう日本のメディアでも報道されていたような気がするが、最近は全然そういう報道を目にしない。