『安田講堂 1968-1969』

安田講堂 1968‐1969 (中公新書)

安田講堂 1968‐1969 (中公新書)

島泰三安田講堂 1968-1969』(中公新書、2005)を最近読了。


はじめに

その一 発端
その二 未来の大学へ
その三 バリケードのなかで
その四 ひとつの歴史の頂点
その五 日大・東大全共闘合流
その六 前夜
その七 安田講堂前哨戦
その八 安田講堂攻防
その九 安田講堂始末
その十 一九六九年、そして今

おわりに


写真提供一覧
引用資料について
引用文献
資料1 1968-69年年表
資料2 1968年度の東大学生・院生・教官数

生物学者である著者は東大闘争の時、理学部の学生で、「安田講堂」に最後まで篭城し、逮捕・有罪判決、服役を経験した。つまり、本書は当事者による語りだといえる。しかし、当事者とはいえ、個人の視野は限定されている。そこで、「東大全共闘議長」だった山本義隆氏を中心に編纂された『東大闘争資料集』(全23巻、国立国会図書館蔵)、また著者が保管している他の闘争参加者の資料(段ボール箱7つ)等の資料が参照されている。東大闘争だけでなく、同時代的な日大闘争についての叙述も詳しい。但し、同じ東京大学であっても、著者が当事者ではなかった「駒場」の運動についての叙述は少ないといえる。また、東大闘争の〈長い戦後〉ともいえる裁判闘争及び服役経験の叙述は今後に期待すべきといえるだろう。
本書の執筆の動機は先ず何よりも当時闘争を弾圧する側の当事者だった警察官僚・佐々淳行による「「卑怯者」の東大全共闘のイメージ」(p.i)の捏造に抗するということだろう*1
社会学的に興味深かった点としては、「本郷」と「駒場」での意識の差異――

将来がより長い教養課程の学生にとっては、この闘争のさなかに祭りの景色というか、学生生活を楽しむという余裕も感じられた。しかし、安田講堂を抱える本郷の学部学生たちにとっては、卒業ができない、就職ができないというタイムリミットが迫っていた(pp.146-147)。
また、著者は勝義における〈ナショナリスト〉であるといえるが*2三島由紀夫への共感は印象深い――「当時の大人のなかではひとり三島由紀夫だけが、青年たちの叛乱というこのただ今進行する歴史に切りこもうとして、七転八倒したことは忘れることができない」(p.291)。また、

三島由紀夫は、青年たちの巨大な運動のなかにほのみえる、迫り来る日本革命の予感に身を震わせていた。このとき、大人世代のなかでは三島由紀夫ただひとりが、この大学闘争のなかにある種の本質的なものを感じとっていた。それを理解できるのは自分ひとりであり、その革命に自らを反革命として立たせ、それによって革命と反革命の側に日本文化の精華としての意味を付与するという誇りを持っていたのだと、私は思っている(pp.180-181)。
ところで、著者は「消防」の努力に賞賛を惜しまないことにおいて(p.257)、〈ヴォネガット主義者〉といえるだろうか。
尚、本書で当局側の〈悪人〉として活躍するのは大河内一男と加藤一郎であって、東大闘争というと定番的に語られる(そして未だにぼこりたいと思う人も後を絶たない)丸山眞男*3は登場しない。
助手として東大闘争にコミットした最首悟氏の語り*4を読めば、本書とは若干違ったイメージが得られるのではないかと思う。

*1:当事者の語りということだと、後に社会党民主党参議院議員を務めた今井澄の文章も佐々淳行への反論を動機にしていたと思う。

*2:例えば、pp.11-12

*3:Cf. http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070523/1179897577

*4:Cf. http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060325/1143266073