噂の在日 

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070619/1182225588在日コリアンについてメモしたのだが、今月の初めに、最近藝能人の「在日」カミング・アウトが相次いでいるという報道を読んだ*1。ただ、そこで言及されている和田アキ子にしても前田日明にしても布袋寅泰にしても井川遥にしても、前からそういう話を聞いていたので、今更何? という感じもした。昔は、大人たちが(或いは大人の話を受け売りした子どもたちが)さかんに実はね、歌手のほにゃららってチョーセンジンだよというような話をしていた。その真偽はわからない。そういう大声の内緒話があまりされなくなったのは山口百恵が引退して以降のことだろうか。80年代の中頃に知人と話をしたのは、そういうことって、パンピーどもの過剰な視線を引き受け、過剰な光とともに過剰な闇を抱え込むというスターのカリスマ性のリアリティが薄れてきたことと関係があるんじゃないかということだった。当時は、そういうスターの条件にぴったりとはまっていたのは藝能人というよりは、サッカー選手と名前が同じ雑貨屋のオーナーのような〈疑惑の人〉の方で、その一方で、「おにゃん子クラブ」のようにパンピーと藝能人というのは地続きになっていた。そこでは、逆転した高貴さという伝説も特に必要とされないということになる。
さてさて、最近は〈噂の在日〉というのは別の方面に見いだされているようだ。例えば、http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-76.htmlが引くhttp://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-221.html。昔はそういうことはなかったと思う。右翼が左翼に対してお前ら蘇聯へ行け!と叫んでいたことはあったけれど。こういう言説の源流というのはどの辺にあるのか。わからない。言えることは、そういう言説を好む人たちが(例えば)李香蘭という偽中国人を造りだしてしまった戦前の軍国主義者よりも肝が小さく且つ田舎作であるということはたしかだ。
ところで、http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-76.htmlだけど、引用文と地の文との区別がつきにくい。何故、blockquoteのタグを使わないのか。
因みに、「噂の在日」というのは、ヒカシューの『うわさの人類』からのパクリです。