承前*1
リチャード・ローティに関して、http://hpt.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/richard_rorty_1.html。また、そこからTodd Gitlinの追悼blogエントリーがリンクされている*2。
ところで、ローティについてはあまり語るべきものを持ってはいない。1980年代に〈大きな物語(grand recit)〉を巡って、リオタールと論争した時も、リオタールの方がいいと思い、ローティの主張って〈アメリカというものの代弁〉にすぎないじゃないかと感じた。その一方で、教条的なトロツキストである佐々木力氏がローティを持ち上げるのはどういうことなんだとも思った。Richard BernsteinやNancy Fraser(Unruly Practices)による批判にはふむふむ頷き、マーサ・ヌスバウムと展開した〈愛国心論争〉でも、ローティって何いってるんだと思った。しかし、先に引用したTelos Pressの記事の中で引かれている米国哲学協会がトーマス・ジェファーソン賞をローティに授与するに当たっての文言を読むと、そこで(ローティに関して)言われていることって(20世紀以降に哲学みたいのに関わろうとする人にとっては)穏当でごくごく当たり前のことだよなと思って、今までの(碌に読みもしない一方での)反発が共感に変わってきた。ということで、ローティに関しては、(死後ではあるが)今後こつこつと読み、考えていかなければならないと改めて思った。
Unruly Practices - Power, Discourse and Gender in Contemporary Social Theory
- 作者: Nancy Fraser
- 出版社/メーカー: Polity
- 発売日: 1990/01/26
- メディア: ペーパーバック
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