先ず『産経』記者の嘆きというか八つ当たり;
最後の一節は余計なのか、それとも言葉足らずなのか。「その写真、どうしても撮らないといけない理由があるのか」といっても、アートに「理由」などないと言われればお終いである。また、俺がこの写真を撮らなければボーナスが50%カットされて妻子が路頭に迷うんだという一文があれば、少しは説得力が増したかも知れない。
【季節風】アマチュアカメラマンに物申す03/24 19:14
京都に赴任して丸2年。警察担当もしんどかったが、一見華やかに見える宗教・文化担当もけっこうツライ。
前任地で、ある汚職事件の裁判を取材したときのこと。被告の元首長は保釈されていて、公判が終われば必ずどこからか姿を現すはず。一言欲しい、と思うのは報道各社どこも同じで、複数の出入り口付近に記者やカメラマンが張り込んでいた。
裏口の前で待機していたところ、ちょうどそこから被告が現れた。ほかの出入り口付近にいた報道陣もどっと集結。その際、テレビカメラが私の頭を直撃し、しかも「邪魔なんだよ!」と怒鳴られた。あまりの痛さに「こっちも仕事なんだ。それより謝れ」と怒鳴り返す。取材が一段落した後、互いに「言い過ぎました」と和解したが…。
こういう「囲み」取材で、小競り合いはつきもの。互いに仕事なのは分かっているから、大抵は「仕方ない」で済ませることができる。ところが、京都ではそれでは割り切れない“商売敵”が現れた。
アマチュアカメラマンである。全国的にも名の通った神社仏閣が多い京都だけに、祭事となると、彼らはどっと押し寄せる。舞妓(まいこ)さんでも登場しようものなら、その数はハンパじゃない。
彼らは少しでも良い場所から撮ろうと、朝早くから場所取りをする。ベストアングルに設けられる報道陣用スペースで立っていると、必ず文句が飛んでくる。こちらもベストアングルを占めている手前、「すいません」の一言があれば腰をかがめるが、腕章の社名を見て「産経、邪魔だ!どけ!」と頭ごなしに言われると、腹も立つ。
2月下旬、京都市伏見区の醍醐寺で、巨大な鏡もちを持ち上げる時間を競う行事があった。特設ステージの正面はアマチュアカメラマンがずらり。「紫の服着た人、どいて!」と、持ち上げているかを確認する審判長を邪魔者呼ばわりする強者もいた。
文句にたまりかねた某社カメラマンが、「こっちはこれでメシ食ってんだ」と言い返すのを見たことがあるが、まさしく同感。アマチュアカメラマンに尋ねたい。その写真、どうしても撮らないといけない理由があるのかと。
(京都総局 渡部圭介)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/44666
それはともかくとして、小型のデジカメとかケータイのカメラとか、写真に関しては世の中がお手軽志向にシフトしているのに、ここでいわれているような「アマチュアカメラマン」は、私が日本の観光地で見た限りでは中高年の男性が多いようだが*1、そのトレンドに逆らうように、重々しい一眼レフを使い、さらには三脚まで立てて、名所旧跡絶景を撮影しようとする。
以前、川瀬さんが京都の下鴨神社の「葵祭」の流鏑馬を巡って、「セミプロのカメラマンの人々が(おそらく)朝からコース前を陣取って、ものすごい装備のカメラで待ちかまえていて、その気合いと、相当な程度の傍若無人さに当てられました(「あ、あんた、構図としてじ邪魔やから、そこどいてくれ」などという要求を平気で神社側の人間に言ったりする。彼も仕事で馬場をならしたり、色々しているのだろうに。全く)」と書いていた*2。ここで川瀬さんが「セミプロのカメラマン」といっているのは上の記事にいうところの「アマチュアカメラマン」だといってよいのだろう。
私も数年前に京都で「アマチュアカメラマン」の横暴ぶりを見て、腹が立ったことがあった。大徳寺の或る塔頭の庭園が期間限定で一般公開され、庭の紅葉を見ようと多くの観光客が押し寄せていた。門を潜って庭を覗くと、50代後半くらいの「アマチュアカメラマン」が枯山水に足を踏み入れ、三脚をおっ立てているではありませんか。箒で丹念に表現された河が無惨なことになっていたというのはいうまでもない。その直前に、湯豆腐を食べながら酒を飲んでいてほろ酔い気味だったのだけど、酔いが醒めて素面に戻ってしまうほど腹が立った。そういうことを思い出した。
ところで、冒頭に引いた渡部さんの愚痴にはそういう視点はない。それは横暴ぶりということでは、プロも「アマチュア」も関係ないからだろうか。能登の地震*3についても、メディアの横暴ぶりは早速レポートされている*4。但し、この報告には信憑性を疑問視する意見もあるということは書き添えておく。