1983年に

承前*1

藤原新也*2藤圭子とその時代、そして今。」http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php?mode=cal_view&no=20130826


1983年に藤圭子宇多田ヒカル母子に米国で会ったことが記されている;


アメリカを旅した83年、ロスアンゼルスメルローズ通りのとあるレストランに入ったおりのことである。

私のテーブルから3つ先のテーブルに偶然藤圭子が居た。

主人とおぼしき人と向かい合わせに座っていて、藤圭子は生まれたての赤子を抱いていた。

その赤子はのちの宇多田ヒカルである。

圭子は笑っていた。

日本のあらゆる場面で見た圭子のそれからは想像できないくらい明るい笑顔だった。

白い歯が眩しかった。

カメラは持っていたが、その異国というサンクチュアリでの彼女の至福を邪魔しないように、写真は撮らなかった。

当然挨拶もしなかった。

興味深いのはこれだけ。あとは、読んでみて、藤原新也って、こんな凡庸なことしか書けないひとだったっけ、と、目をぱちくりさせてしまった。
氏が凡庸なコメントを付している井上陽水の「傘がない」に関しては、やはり浜日出夫氏の「危機としての生活世界――シュッツの”discrepancy”概念――」(『年報社会科学基礎論研究』3、pp.46-62、2004)*3は、今も一読すべき文献であり続けているだろう。
年報社会科学基礎論研究 (第3号(2004年度))

年報社会科学基礎論研究 (第3号(2004年度))