承前*1

- 作者: 会津八一
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1969/06
- メディア: 文庫
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會津八一『自註鹿鳴集』から。「夢殿の救世観音に」と題して;
この「ほほゑむ」に註して曰く、
あめつち に われ ひとり ゐて たつ ごとき
この さびしさ を きみ は ほほゑむ
(「南京新唱」、p.63)
と。
中国六朝時代の造像には、常に見慣れたる類型的の微笑ありて、夢殿の本尊もその一例なるを、ここにてはこの像の特別なる表情の如く作者の主観として詠みなせり。
また中国六朝時代より我が国の飛鳥時代に波及せる一種の微笑的表情を遠く希臘のARCHAIC時代の彫刻にその源流を帰せんとする学者、わが国には一人のみにあらざるも、所謂アーケイック時代は、耶蘇紀元を遡ること五世紀を超ゆるに、我が飛鳥時代はその紀元後七世紀なれば、千二百年を中にして、突如として遠隔せる東洋に影響し、しかも中間には一もこれを中継せる伝承の径路を明かにせずとせば、これを以て学術的提説とはいふべからず、一場の座興となすべきのみ(pp.64-65)。
ところで、海外にいると、どうしても日本の新刊書とかの情報には疎くなる。http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20070208#1170917457にて、竹田純郎先生が近代日本思想史の新著を出されたことを知る。t-hirosakaさん曰く、
また、t-hirosakaさんは映画『墨攻』に絡めて、「墨家」のことについて書いている*2。『墨攻』はDVDを買ったものの、まだ観ていない。「墨家」がその後〈侠〉へと流れ込んだというのはどなたの説だったか忘れた。ともかく、「墨家」が非中国的なものと見做され、清末には墨子=モーゼとする説も現れた*3。
大正から昭和にかけて活躍した土田杏村という多才多面な人物を軸に、内村鑑三・北一輝・吉野作造・三木清・中井正一・山村暮鳥・折口信夫らを論じ,日本近代の特質を探るという趣向の論集。文章はいわゆる学術論文スタイルで派手さはないが、述べられている事柄は興味深い。とくに第一章の「社会ダーウィニズムに憑かれたモダン」は面白かった。
著者には学生時代に一年だけ習ったことがある。その頃はディルタイ、フッサール、ガダマーを主に解釈学を講じておられた。お元気そうで何より。