『読書のすすめ』


 岩波文庫編集部編『読書のすすめ 第11集』


執筆者は、池田香代子、岩淵達治、おすぎ、川本三郎、坂元ひろ子、中村文則、山崎剛太郎、渡辺えり子渡辺守章
読んでいると、何故か、映画に関係した文章が多い。おすぎと川本三郎は映画評論家だし、山崎剛太郎氏に至っては、映画字幕翻訳の長老である。ただし、渡辺守章氏が言及するのは主に演劇であり、中村文則氏のものは『読書のすすめ』らしい(?)オーソドックスな読書エッセイ。その謎は、編集部による「あとがき」を読むことで、解けてしまった。今年の「岩波文庫」フェアのテーマが「「岩波文庫」でひろがる映画の世界」ということで、それに因んだものだったのだ。
さて、その中で取り敢えず最も興味深かったのは、坂元ひろ子さんの「批判する魂のリレー、あるいは伴走」というエッセイ(pp.37-44)。


(前略)高校時代は岩波文庫や新書をはじめ、読書量を友人と競うという、今ではこれまた想像できないような文化につかって過ごした。一九六〇年代末には学生運動オルグが京大から私の通った大阪の高校にもやってきたせいもあり、マルクスエンゲルスウェーバー吉本隆明というのは分かっても分からなくても、「必読」だった。ピークはすぎてもまだ学生運動期の終焉にはいたらない大学の教養時代の読書も、古典的哲学書なども加わるとともに、特に女性の革命思想家としてのローザ・ルクセンブルクなど、おおむねその延長にあった(p.37)。
こういう「文化」というのは、私の高校時代には既に失われていた。というよりも、所謂高偏差値校ではなかったので、そもそもそういう「文化」は存在しなかったのかも知れない。因みに、吉本隆明は名前だけは知っていたが、それは渋谷陽一経由だったか。ウェーバーの名前を知ったのは、水道橋のK予備校の英語の先生が社会学者だったため。そこで、デュルケームとかパーソンズの名前も知った。社会学部を受験した動機というのは、自分でもはっきりとは思い出せないのだが、その影響というのは確実にあった。
さて、凄いというか感動的なのは、坂元さんが語る大学の語学の授業である;

当時の大学の第二外国語では、早熟な(ひたすら背伸びしたがりの)私たちの知的関心にみあったテクストが選ばれた。初級か中級かの副読本は待望のカフカ! それも『流刑地にて』という、今にしてみれば無謀な選択だった気がするが、ともあれ、後にそうと知った、ユダヤ人のカフカの出自による独特な「プラハ−ドイツ語」、しかもなかなか辞書でも見つからないような、拷問・処刑装置についての語彙が並ぶ文章と格闘したのだった(p.38)。
坂元さんはやがて「中国」に関心を向かわせ、中国語を「第三外国語」としてとる。その中国語のテクストも「一年目後半から」「いきなり」「魯迅」である(p.39)。
私の大学時代、既に時代も変わっていたこともあり、そのような知的「無謀」を経験したことはなかった。多分、現在の私の無教養や知的なつまらなさはそのせいであろう。何しろ、大学3年になって、英語力が高二レヴェルにまで退化しているのに気づいて愕然としたくらいだから。多分、現在必要なのは、パターナリズム的なお気遣いなどではなく、〈権力〉に物言わせて、そのような知的「無謀」を強制することではないかしらとも思ったりする。
さて、坂元さんのエッセイに戻ると、カフカ魯迅の同時代性、またそのテーマの「通底」性が語られる(pp.40-41)。そして、思想家としての魯迅の要諦を「阿Qの生きざまのみならず、処刑を見物する群衆の眼差しをも問題化し、「人が人を食う」社会に対してのみならず、「自分も人を食った」かもしれないという、自己に対してもきわめて深層における批判をしながら社会へのかかわりを模索し、試行錯誤した」と纏め、「その魂を受け継」ぐことを希求する(p.41)。それがタイトルにある「批判する魂のリレー」である。
エッセイの後半で、坂元さんは、魯迅カフカからバトンを引き受けた中国・湖南省の作家・残雪が紹介される(pp.42-43)−−「魯迅カフカの魂に深く触れて、対社会、人間の恐怖感触を狂人視される「わたし」語りの悪夢のような幻想的イメージで表現しきり、独自なモダニズム文学の境地をものにした作家」。

残雪は反右派闘争で批判された新聞社社長の父親の娘として、文化大革命時期を通じて、生活苦と周囲からの白眼視のなかで育ったという。学歴もほとんどもちえず、文革後は渇望するように諸本をひたすら読みふけり、そのなかでカフカと出会った。魯迅ともそうした体験を経て、あらためて出会いがあったと考えうる(p.43)。
ところで、坂元さんのいう「魂のリレー」からすぐに連想されるのは、ハンナおばさんの〈伝統〉論である*1。しかも、その〈伝統〉論の端緒にはカフカとの(批判的な)関わりがある。


魯迅『阿Q正伝』の映画化であるが、1981年、岑範監督によるものが初である。その評は、


その映画は阿Q役にコメディアンを起用しての滑稽劇風仕立て、文芸大作ものによくある、原作に忠実であろうという姿勢ではある。だがその「階級的解釈」の強調や映像というより「演劇」的な手法は、一九八四年の陳凱歌『黄色い大地』で中国のニューウェーヴの存在が世界に知られるようになる以前の作品としての限界ではあろう(p.42)。

*1:Cf. 『過去と未来の間』「序」。ところで、私見によれば、この問題はアレントデリダの思考が最も近接している地点のひとつである。