唐/宋或いは馬/葛の諍い

 胡jing4*1薇、徐文zhao1*2
 「唐宋高官後裔争奪“風水宝地”」
 『東方早報』2005年12月20日



 浙江省東陽市の「五風山」には、宋代の文官葛洪の墓がある。実はその葛洪の墓の下には唐代の武将馬肖宗の墓がある。つまり、馬肖宗の上にそれを押しのけるかたちで葛洪の墓がつくられたことになる。記事によると、馬・葛両家の子孫たちは700年以上に亙って諍いを続けている(「一直口角不断」)。最近、馬氏側の子孫たちが、葛氏側が権利の侵犯を停止し、馬肖宗の墓穴の原状を恢復することを要求して、訴訟を起こしたという。
 ことの発端は、2002年に東陽市南馬鎮水口村の葛姓の人々が葛氏の家譜を「修繕」している過程で、自分たちの先祖である葛洪の墓地の記載を発見し、墓の修復につとめるとともに、「文物管理辧公室」に対して、「文物保護点」指定を申請した。そうこうしているうちに、馬氏側が(自らの家譜である『茂陵馬氏宗譜』を根拠に)クレイムを発したというわけだ。
 馬肖宗の後裔は同市南馬村及び千祥村に5000世帯余りおり、同市葛府村には葛姓が6000人以上いるという*3
 裁判所としては、この訴訟については、今のところ、「受理」自体を保留しているという。

 なんだか映画になりそうなネタ。
 宗教社会学的にも法社会学的にも面白そうだが、話のミソは、2000年代に入って、家譜を「修繕」というところでしょうか。

*1:おんなへん+青。GB7026。

*2:かねへん+りっとう。GB7840。

*3:「世帯」(原文では「戸」)と人数なんて、そのまま比較することはできないと思うけれども、元の記事がそうなってるんだから仕方がない。