曹操だけでなく

承前*1

中国新聞週刊』2010年1月4日号の特集は「曹操高陵探秘」;


楊時暘、楊涵舒「曹操高陵発掘幕後」(pp.30-32)
曹操最後的歳月」(p.34)
「西高穴村高陵2号墓部分出土文物」(pp.36-37)
楊涵舒「魏武墓之争紛擾数十年」(pp.38-41)
「三国英豪墓安在?」(pp.42-43)
曹操のライヴァルであった蜀の劉備、呉の孫権の墓の所在も確定していない(「魏武墓之争紛擾数十年」、p.41)。「三国英豪墓安在?」によると、孫権の墓は南京の梅花山、つまり明の太祖、朱元璋の孝陵の下にある筈だが*2、「三国英豪墓安在?」によると、確定しているわけではない。劉備はどうか。一説では成都の武侯祠の正殿の西側だといわれ、「恵陵」と称される。しかし、郭沫若は、劉備が死んだのは夏であり、死んだ場所の奉節(現在は重慶に属す)から成都まで死体を腐敗させないで運ぶのは難しいとして、奉節に葬られたという説を唱える。別に、四川省彭山に墓があるという説もある。諸葛孔明五丈原で死に、陝西省勉県定軍山の麓に葬られたと信じられているが、これも確定しているわけではない。墓の所在が確定しているのは関羽。洛陽の「関林」。但し、ここに葬られているのは首だけで、胴体と四肢が葬られているのは湖北省当陽。また、山西省解県にその「魂」を葬った塚があり、四川省成都にその衣冠を葬った塚がある。曹操の息子たちだと、曹植の墓は山東省東阿県魚山の西麓。その兄、曹丕の墓は洛陽の首陽山にあるとされるが、詳細は不明。また、曹操の故郷である安徽省亳州*3には、曹操の祖父曹騰、父親曹嵩、長女曹憲を含む曹一族の墓がある(「魏武墓之争紛擾数十年」、p.39)。
ところで、この特集にある諸葛孔明の似顔絵があまりに金城武に似ていて、笑ってしまった。