社会科学基礎論研究会その他

 体調の方は既に最悪ではない。
 12月17日は、社会科学基礎論研究会大正大学
 参加人数は多いとはいえない。はっきりいって少ない。例えば、酒井泰斗氏の姿が見えないではないか。何故?と思ったが、事後的に「午前中に虫歯をいじったら頭が激烈に痛くなってそのまま寝込む。研究会はお休み。」(http://d.hatena.ne.jp/contractio/20051217)ということを知って、納得。お大事に。お会いできなくてとても残念でした。人数が少ないとはいっても、議論の密度は濃かったように思える。ただ、ディスカッションの大半が、フロイトの「科学的心理学草稿」を精読した水野節夫氏と著者である竹中均氏とのタイマンに費やされてしまったため、例えば〈自己物語論〉という通路から竹中本にアプローチした浅野智彦氏の報告が霞んでしまったのは残念。勿論、竹中−水野の(最近中国で流行っている表現を使えば)PK以外でも興味深い発言はあった。例えば、馬場靖雄氏のコメンタリー。馬場さんはまず、カントの「無限判断」が正確には「無限定判断」であることを指摘。さらに、ルーマンに言及して、(現実の二次性に関して)「コード」の一次性を指摘した。「一次過程」万歳!だと、クリステヴァの段階に留まってしまうので、馬場さんの発言はルーマン的であると同時にデリダ的でもあるということになるのかな。ただ、そうではあっても、〈無差異〉が欲望されるということはあるわけで、そちらの方向に議論が進めば面白かったかなとも思う。
 当日は、超吃驚の10年ぶりのご対面という出会いがあったのだが、魁生姐さんや須藤さんにも再会できたし、竹中さんには昼間の研究会でも夜の飲み会でも、そのバイオグラフィに関わるような興味深いお話を伺った。それから、Mさんからは、頂き物として、渡邊二郎『芸術の哲学』(ちくま学芸文庫、1998)。懇親会というか忘年会は「華興」。最近、甘ったるい上海料理に慣れた感もある私としては、ちょっとさっぱりしすぎという感もなくはない。帰りは、秋葉原駅総武線が(遅れた山手線の電車を待っていたために)30分近くストップするということもあって、帰宅は日曜日の2時頃。
 斎藤学『家族の闇をさぐる 現代の親子関係』(小学館、2001)を読み了えつつ就寝。
 
 佐野眞一中内功死去 九月の六日間」(『月刊百科』518、pp.2-9)を読んで、ダイエーの創業者である中内功*1が9月19日に亡くなったことを知る。9月19日といえば、まだ日本にいたはずなのに、全く記憶になかった。何故こんなことを書いたのかといえば、ダイエー津田沼店が11月30日18時をもって閉店したことを知ったからである。

 日記の日付は18日だが、実際には既に19日。これから、午前の飛行機で上海に帰国します。
 

*1:正確には、「功」ではない。つまり、旁は「力」ではなくて「刀」。