取り敢えず開店

取り敢えず、Blogを始めることにします。

 とはいっても、不安はある。実は、私は一応サイト も開いているのだ.。しかしながら、頁の更新も数週間で停止、もう何年も廃墟のままに放置している。今回も?

 不安、不安といっても、仕方がないので、取り敢えず始めてみる。

 読書ノートやちまちました雑記が中心になると思いますが、宜しくご贔屓のほどお願いいたします。

 では、もう出かけなければならないので。

取り敢えず、Blogを始めることにします。

 とはいっても、不安はある。実は、私は一応サイト も開いているのだ.。しかしながら、頁の更新も数週間で停止、もう何年も廃墟のままに放置している。今回も?

 不安、不安といっても、仕方がないので、取り敢えず始めてみる。

 読書ノートやちまちました雑記が中心になると思いますが、宜しくご贔屓のほどお願いいたします。

 では、もう出かけなければならないので。


開店早々間違い


 開店挨拶に、「実は、私は一応サイト も開いているのだ.」云々と書いたのですが、実は「サイト」というところに、リンクを張ったつもりだったのですが、見てみると、全然リンクなんかされていない。2度か3度考えたら、話は単純で、タグを入れる位置を間違えて、タグのコマンドは字と字のあわいに虚しく消えていったということ(ではなくて、"a href"というタグがそもそも無効だった)。というわけで、二重三重に恥ずかしいのですが、改めて、「実は、私は一応サイト http://www008.upp.so-net.ne.jp/sumita-m/も開いているのだ.」。

 ところで、上のパラグラフ、意識しないうちに、〈ですます体〉を使っている。私の言語感覚では、〈ですます体〉というのは特定の読み手を想定した文体で、だからこそ、パーソナルな手紙やメイルにはそれを使うのであり、エッセイや論文といった不特定多数の読者を想定した文章にはあまり使わない。Blog(或いはウェブにおける文章一般)には 〈ですます体〉を使ったのもあれば、〈だである体〉を使ったのもある。書く人の個性といってしまえばそれまでなのだ。
しかし、室井尚http://tanshin.cocolog-nifty.com/tanshin/2005/05/blog_65cf.htmlは「特定の人にしか向けられていない文体で書かれているものが、不特定多数の人にも読まれてしまうという二重性のようなもの」といっているが、(同じ筆者の、同じディスコースの中にもある)〈ですます体〉と〈だである体〉のゆれは、この「二重性」のゆれを反映しているのかもしれない。

 私はこれまで、インターネットは、メイリング・リストを中心にやってきた。たしかに、メイリング・リストというやつは、閉鎖的であり、数人の常連投稿者のメイルのみが行き交うのが常であるが、大規模なMLだと、加入者は数百人、数千人規模であり、「特定の読み手」というわけにはとてもいかない。何故MLをやっているのかといえば、それは色々な理由があるのだけれど、一つには〈備忘録〉ということことがあると思う。或いは、思考の痕跡を物質化しておくこと。日々思い浮かんで、(自分ではコントロールできない)記憶の片隅に追いやられていく思考たちを取り敢えず(忘れないうちに)文字にしておくこと。自分が忘れても、自分のメイル・ボックスやディスクや、あるいは誰かさんのメイル・ボックスに、自分の思考の痕跡は残っているだろう。それは、多分Blogでも変わらないのではないか。いや、その性格はより強いのではないか。MLの場合、基本的には、誰かのメイルに触発されたレスという仕方で行われるものであるから。

 Random thinkingFaye Wong)であるので、とりとめがないのは当たり前なのだが、何が言いたいのかといえば、ここでも、思い浮かんだこと、私の思考の痕跡を、お気楽に書いていくだけさ、ということだ。そうした思考たちが、誰かを触発し、その記憶に到達することをひそかに願ってはいるが。

 では、次からは、最初にいったような読書ノートなどを掲載してゆきたい。もう朝。
今は、


  Martin Jacques
"East is east - get used to it"
http://www.guardian.co.uk/print/0,3858,5198003-103677,00.html


も読む時間なし。