翌日のエントリーから

もう(或いはまだ)10年!
10年前は上海に住んでいたが、次の日の3月12日のblogでは、


東北地方太平洋沖地震」はその約30分後に妻からのメイルで知る。バスに乗ったら、TVで宮城県や東京の映像を流していた。日本への国際電話は非常に繋がりにくくなっていたが、何回か試行してやっと実家(千葉県)に繋がる。実家にある私の書斎が崩壊したことを除けば、家族、また東京在住の親類縁者は取り敢えず無事。父親はこんなに強い地震は経験したことがないと言っていた。東京在住のマイミクさんには、歩いて自宅まで帰らざるをえなかった人が多かったようだが、仙台在住の方の消息はわからず。東京は震度5だと聞いたけれど、「住宅の外壁がはげ落ちたり、銀行やコジマのガラスが割れている」*1。そういうものなのか。今回の地震は上海や北京でも揺れを感じたということだが、私はその時3階建ての洋館にいて、全然感じなかった。20〜40階クラスの高層ビルにいた人は揺れを感じたけれど、それ以上の超高層ビルにいた人は感じなかったようだ。
と書いていた*2