或る出自の話

長女vs.後妻(及びその後ろ盾の作家)のバトルが繰り広げられつつあるやしきたかじん*1角岡伸彦*2がそのやしきたかじんの評伝を9月に上梓したのだという。
『デイリースポーツ』の記事;


やしきたかじんさんの隠された出自とは

2014年9月9日


  なるほど、ただの評伝ではなかった。小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞し、9月11日に小学館から出版される「ゆめいらんかね やしきたかじん伝」のことだ。

 著者は大阪在住のフリージャーナリスト、角岡伸彦氏。自身が被差別部落出身であることを公表し、単行本ではデビュー作「被差別部落の青春」(1999年、講談社)から、2011年に講談社ノンフィクション賞を受賞した「カニは横に歩く 自立障害者たちの半世紀」まで、足元からの目線で一貫して『差別』と向き合ってきた。その角岡氏が初めて芸能人を描いた。なぜ『やしきたかじん』だったのか。それはタブー視されてきたカリスマの“出自”に踏み込んだものだった。

 角岡氏は89年から93年まで神戸新聞社に在籍。姫路支社の記者から神戸本社の整理部に異動して見出しやレイアウトを担当しつつ、音楽に魅せられてアパルトヘイト廃止後の南アフリカを旅し、黒人居住区を歩いて見た人模様を夕刊で連載したり…。1年遅れで入社した私は、そんな“自由人”の姿を隣の部署からながめていた。
http://www.daily.co.jp/opinion-d/2014/09/09/0007312441.shtml

個人的なお薦めは2作目の「ホルモン奉行」(03年、解放出版社〜現在は新潮文庫)。日本、韓国から世界各国のホルモン料理を自分の足と舌とポップな筆致で追究したグルメ本として楽しみながら、臓物という食品が生産される地域や背景が自然と気になってくる。声高に何かを訴えなくとも、その行間から“分かる人には分かる”ことがジワリと伝わるし、その時はピンとこなくても、ヨダレをたらしながらハフハフと読んだ後になって、「あ、アレって、そういうことやったんや…」と気づかせる。そんな本も書いた人だ。

 閑話休題。8月末に都内で行われた贈呈式に伺った。角岡氏はツボを押さえた漫談調の関西弁トークで東京の業界人を沸かせ、落語でいう“マクラ”の部分だけで「受賞者あいさつ」の予定時間を越えてしまった。選考委員の作家・椎名誠氏は「テレビでしゃべるとか、別の方向があるんじゃないですか?」と、なぜかタレント性を評価(?)。それはさておき、壇上のスピーチは想定外の“延長戦”に入り、そこで本書の核心が語られた。

 角岡氏が「やしきたかじんさんの父は在日韓国人1世で…」と、これまで公には語られてこなかった文言を発した瞬間、会場の空気がキュッと引き締まった。さらに同氏は言葉を続けた。「(世の中で)あまり知られていないこと、たかじんさんが隠していたことを書くということは、すごいプレッシャーでした。僕自身は部落出身ですが、人のルーツを書く時はナーバスにならざるを得ない」。99年に死去した実父の周辺取材は難航したという。今年1月3日のたかじんさん死去以降に取材を始め、応募締め切りが4月というタイトな日程。さまざまな制約もあり、踏み込めなかった部分もあって大賞は逃した。
http://www.daily.co.jp/opinion-d/2014/09/09/1p_0007312441.shtml

選考委員のノンフィクション作家・高山文彦氏は「本当に残念でした!」とウイットに富んだ表現で労をねぎらいつつ、「在日韓国人2世(※将来を案じた父の配慮から日本人である母の籍に入ったため日本国籍。『家鋪』は母方の姓)のやしきたかじんという人物と彼を強大な力で抑えていた実父の、いわば『血と骨』の物語、それが描けていれば本賞の枠を飛び越えて、とてつもない傑作になっていただろう。取材を重ねて世の中に出していかれることを期待したい」と、ビートたけし主演、崔洋一監督で映画化された、梁石日ヤン・ソギル)氏の自伝的小説「血と骨」にイメージを重ねた。角岡氏は「アニキ」と呼ぶ高山氏の言葉通り、応募後も数か月の取材を重ね加筆した。

 そんなやりとりを耳にしているうちに、79年頃の記憶がよみがえった。三十路になるかならないかのたかじんさんがMBSヤンタン(関西在住の10代にとって“義務教育”のようなラジオ番組「ヤングタウン」の愛称。たかじんさんは83年までパーソナリティーを務めた)で、実父との確執を語っていたことを思い出したのだ。学生時代、新聞記者志望を父に告げた際、突き放すような敬語を交えて頭から全否定された場面を、たかじんさんは父の口調をまねて再現していた。青年期のルサンチマン(この場合は父という絶対者への憎悪であり、同時にそれは音楽を選んだ表現者にとって不可欠な要素、動機付けになったと思う)にあふれていたが、出自については全く触れられることはなかった。

 式後のパーティーで角岡氏に声を掛けた。神戸新聞時代の昔話もそこそこに、たかじんさんの出自について改めてうかがうと…。「周囲はそのことを知っていたが、最後まで公にされなかった。自身の番組で“在日”を取り上げた際、在日韓国人のパネラー(例えば前述の崔監督)を迎えたことがあり、その時、本人も名乗るチャンスはあったのに、できなかった」。だからこそ、“それ”を初めて書くプレッシャーと同氏は格闘した。

 では、なぜ、そこまで掘り下げたのか。それは「歌手としてのやしきたかじんを再評価したい」という思いからだったという。実はそれこそが本書の大きなテーマだ。出自にまで触れたのは、彼の「歌」に結びつく原点の1つとして描かねばならなかったからだろう。何よりも、本書のタイトル「ゆめいらんかね」は「家鋪隆仁」名義で自身が作曲し、キングレコードの「ベルウッド」レーベルから76年10月21日に発売されたデビュー・シングルの曲名である。同日発売のファースト・アルバム「TAKAJIN」の5曲目にも収録されており、当時、たかじんさんは27歳になったばかりだった。

 「ベルウッド」といえば、高田渡はっぴいえんど細野晴臣大瀧詠一のソロ、あがた森魚友川かずき(現カズキ)、遠藤賢司三上寛…といった唯一無二の顔ぶれが群雄割拠した伝説のレーベル。後に「やっぱ好きやねん」「東京」といったヒット曲を飛ばし、政界にも影響を及ぼしたカリスマ司会者と彼らの音楽性は今でこそ交わる要素を全く感じさせないが、モハメド・アリアントニオ猪木日本武道館で戦ったあの年、「1976年のやしきたかじん」はその延長線上にいたシンガー・ソングライターだったのだ。

 角岡氏は言う。「9・11という日に本を出す。(01年の同時多発)テロとは全く関係ないですが、僕にとってはハラハラドキドキ。本人が隠してきたことを僕が書いてしまうことに怖い部分もあります。でも、それ(出自)をバネにして彼は歌手として頑張ったんですから」。果たして、たかじんさんの出自と歌のつながりとは…。こちらも覚悟をもって、本書を手に取りたい。

(デイリースポーツ・北村泰介)
http://www.daily.co.jp/opinion-d/2014/09/09/2p_0007312441.shtml

例のバトルを採り上げるに当たって、Wikipediaの「やしきたかじん」の項目を調べてみて*3、彼の父親に関する記述*4が随分と変えられているなと思い、角岡氏の著書を紹介する上の記事に辿り着いた。こういうことは(人によって淡々となのか、しみじみとなのかということはあるだろうけど)事実を事実として受容すればいい話だと思うので、敢えて論評はしない。ただ「在日」と聞いただけで血圧が上昇する熱湯浴がどう反応したのかは知りたいと思うのだ。
被差別部落の青春 (講談社文庫)

被差別部落の青春 (講談社文庫)

ホルモン奉行 (新潮文庫)

ホルモン奉行 (新潮文庫)

「青春」と「戦後民主主義」(by 松島利行)

承前*1

松島利行「不器用に戦後生き抜いた」『毎日新聞』2014年11月20日夕刊


最初の部分をメモ。


健さんは無口な人ではない。むしろ話好きだったかもしれない。中学・高校時代は英会話部とボクシング部をつくって占領軍将校の子弟と交遊し、映画を見まくった。仲間とアメリカに密航しようと試みもした。貿易商を夢見て明治大に学び、進学で世話になった恩師の友人が顧問をしている相撲部に入ったものの、上意下達の人間関係になじめず、酒乱で野放図に暴れたりもしたが、好きな映画に目を向けて恋をして結婚を考える。この話で健さんは彼女がどんな人か語りたがらなかったけれども、松竹大船撮影所でエキストラのバイトをしていて知り合った若い女優だった。それが父親の逆鱗に触れて結婚は許されず、故郷を捨てて再び上京して映画の道を求め、小田剛一は「高倉健」と改めて東映第2期ニューフェイスとなる。

やくざ任侠路線でスターとなったからか体育会系の硬派のイメージで語られるが、ジャズシンガーで映画でも人気だった江利チエミとの結婚にいたるまで、健さんの青春はいわゆる「戦後民主主義」の中にあっただろう。

網走番外地」の冒頭で流れる歌声には、演歌ともいささか異なる情を切り捨てた響きがあってしびれた。健さんの出自は、北九州の炭坑と港湾労働者を仕切る遠賀川の川筋者の、作家火野葦平にも通ずる荒くれ者の暴力と仁義の世界にある。東映映画での裏切りや理不尽に耐えて死地に赴くアウトローの男の意地が、1960年代に始まる若い世代の反乱に呼応する。彼らの闘争や恋の挫折の怨念もスクリーンで昇華した。
網走番外地 [DVD]

網走番外地 [DVD]

新浪娯楽「張藝謀憶高倉健:士之徳操」http://www.yangtse.com/gd/2014-11-19/360622.html


但し、これは今回の高倉健逝去に伴って語られた言葉ではなく、2009年に張藝謀にインタヴューした際にその主題とは無関係だったためにカットされた部分が今回の事態によって初めて日の目を見たもの。

MMPIを巡ってメモ

教員採用試験にMMPIという心理測定が使われていることが先々週の『毎日新聞』で採り上げられていたけど、今のところ他社の追随はないようだ。


教員採用:性的指向や宗教質問 心理テスト、4自治体使用

毎日新聞 2014年11月16日 09時00分(最終更新 11月17日 18時35分)


 2013年に行われた教員採用試験の適性検査を巡り、山梨県山形県など少なくとも4自治体の教育委員会が、性的指向や宗教についての質問を含む心理テストを使用していたことが毎日新聞の全国調査で分かった。使用自治体はいずれも、合否の参考や人事配置の参考にしていると回答したが、このテストに関しては、公務員の採用試験での実施例が人権侵害にあたるとして12年6月の衆院法務委員会で質疑があり、滝実法相(当時)が「認識が薄かった」と釈明するなどした経緯がある。不適切な質問の削除など改善の動きもみられるが、教員採用の現場で、差別につながりかねない検査が行われていた実態が浮かんだ。

 心理テストは「MinnesotaMultiphasicPersonalityInventory(ミネソタ多面的人格目録検査)」。頭文字から「MMPI」という略称で知られる。精神疾患のある患者を判定することが当初の目的で、主に医療現場で使われるとされる。回答者は550項目に上る質問文を読み、当てはまるか否か、「どちらともいえない」の三択で答える。

 最も流通している出版社のMMPIによれば、質問には、同性に強く心をひかれる▽(男性向けの質問として)女だったら良かったのにと思うことが時どきある▽キリストの再臨(さいりん)(もう一度この世に現れること)を信じる−−など性的指向や宗教に触れる内容が含まれる。

 毎日新聞は今年8月、教員採用試験を実施している全国の47都道府県と20政令市の各教委にMMPIやその短縮版を13年に使用したかを尋ね、全自治体から回答を得た。

 それによると、山形、山梨、岐阜(性や宗教に関わる質問は黒塗り)の3県と静岡、浜松の2市が実施したと回答し、栃木▽埼玉▽富山▽石川▽大分−−の5県と福岡市は「非公表」だった。

 このうち、毎日新聞山梨県に情報公開請求をして開示された「適性検査概要」の文書に「MMPI検査が栃木、埼玉、富山の各県の教員適性検査でも採用されている」などとあることから、「非公表」自治体でも13年に行われた可能性はあるとみられる。他の56自治体は実施していないと回答した。

 実施目的について聞いたところ、山形、山梨両県と静岡市は「合否の参考にする」。岐阜県浜松市は「合格後の人事配置の参考にする」と答えた。
http://mainichi.jp/select/news/20141116k0000m040114000c.html

そのうえで、山梨県は取材に対し、「いろいろ問題になっていることは知っているし、他県では他のテストに変更しているところが多いが、総合的に判断した」と述べ、14年もMMPIを実施したと認めた。

 山形県は「少なくとも03年以降、毎年実施」とした上で「14年は宗教や性、家族に関する不適切な質問を削除した」。岐阜県はMMPIの実施については認めつつ、「5年以上前から性や宗教に関わる質問は黒塗りして実施してきた」などと説明した。

 また、静岡、浜松両市は14年については「一部の質問が削除されたタイプで実施」「実施していない」とそれぞれ答えた。【藤沢美由紀】
 ◇受験者に心理的負担

 臨床心理士の武田信子・武蔵大教授(教師教育学)の話 時代の要請する配慮に対応できていないテストを用いており、受験者にかかる心理的負担が心配だ。精神疾患を抱える教員の増加に悩む教育委員会としては、採用時点でのより分けに生かしたいとの狙いだろうが、そもそも採用後に疾患を生み出す職場環境の見直しが必要だ。

 【ことば】MMPI

 精神疾患である人と健常者を区別するために1943年、米国で開発され、日本には50年代から導入された。主に医療現場で使われ、質問項目の少ない短縮版もある。

 毎日新聞が情報公開請求で入手した適性検査概要によれば、550に上る質問内容は一般的健康▽一般的神経症状▽社会的態度▽男性性▽女性性▽抑鬱感情−−など26領域。教員採用試験で使う場合、自治体は採点や判定業務を契約先である国内の発行元出版社に依頼するとみられる。
http://mainichi.jp/select/news/20141116k0000m040114000c2.html


教員採用:心理テスト、受験生ら募る不信

毎日新聞 2014年11月16日 09時30分(最終更新 11月16日 10時52分)


 教員本来の能力とは関係がないとみられる質問を含んだ心理テストが、一部自治体の教員採用試験の適性検査で行われていることが15日、明らかになった。精神疾患の有無を判定するための指標として、米国で約70年前に開発されたとされるテスト「MMPI」。受験した教員志望の学生や関係者からは、採用との因果関係が不明で人権侵害につながりかねない質問内容に、不信の声が相次いでいる。【藤沢美由紀】

 「時どき、悪霊にとりつかれる」「父が好きだ(だった)」「花屋になってみたい」「神や仏はあると思う」−−。

 今年7月。ある県の教員採用試験の適性検査を受けた複数の大学4年生によると、こうした内容の質問を含んだMMPIとみられるテストが筆記試験と同じ日に行われた。検査は約30分間。音声で質問が流れ、約120問に対して三択で回答を求められた。

 受験した女子学生(22)は親や宗教、性別役割分担などに関する質問が含まれていたことに「プライバシーに関することであり、嫌な思いをする人がいるだろうと違和感を覚えた」と振り返る。別の男子学生(22)は一緒に受けた友人らと「宗教についての質問はおかしい、と後で話題になった」という。

 性的マイノリティー(LGBT)の自殺防止などに取り組む団体「いのちリスペクト。ホワイトリボン・キャンペーン」共同代表で、心と体の性が一致しない「トランスジェンダー」の遠藤まめたさん(27)は2010年、埼玉県の公務員採用試験でMMPIとみられる適性検査を受け、「同性にひかれるか」などの質問にショックを受けた。結果は不合格。ところが2年後、性同一性障害の診断のために通ったクリニックで同じ検査に出合った。

 遠藤さんはその検査で「性自認は男性」と判定された。「そうした判定ができてしまう検査を受験者が答えざるを得ない採用試験で使うのはおかしい。公平なはずの公的機関が実施するのは信じられない」と憤る。

 関東地区の教職課程のある私立大学146校でつくる「関東地区私立大学教職課程研究連絡協議会」は、MMPIとみられるテストの質問に不安や不快感を抱いた受験学生からの訴えをきっかけに、10年度からMMPIについての調査研究を進めている。
http://mainichi.jp/select/news/20141116k0000m040115000c.html

担当する内海崎(うちみざき)貴子・川村学園女子大教授は「検査結果のデータの取り扱いや保管方法も分からない。教師としての適性はセクシュアリティーと無関係なのに、こうした試験を実施すれば受験できない人もいるだろう」と指摘する。

 文部科学省で教員採用を担当する教職員課は「試験内容は各都道府県や自治体がそれぞれ決めること。人権に配慮して実施するよう通知はしている」と話した。
 ◇MMPIの主な質問文

・だれでも自分の見た夢の意味を知り、夢の教えに従うべきだ

・犯罪に関する新聞記事を読むのが好きだ

・父が好きだ(だった)

・時どき、悪霊にとりつかれる

・人と一緒にいる時、とても変なことが聞こえてきて困る

・法律は全部なくなったほうがよい

・同性に強く心をひかれる

・宗教の教典の中に書かれていることは、正しいと思う

・性生活に別に問題はない

・キリストの再臨(もう一度この世に現れること)を信じる

・女性も、男性と同じように性的に自由であるべきだ

自衛隊員(兵隊)になってみたい

・あなたが男の場合…女だったら良かったのにと思うことが時どきある

・あなたが女の場合…自分が女であることを残念だと思ったことはない

※最も流通している出版社のMMPIより抜粋
http://mainichi.jp/select/news/20141116k0000m040115000c2.html

MMPIに関するWikipediaのエントリーは、

英語 http://en.wikipedia.org/wiki/Minnesota_Multiphasic_Personality_Inventory
日本語 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%8D%E3%82%BD%E3%82%BF%E5%A4%9A%E9%9D%A2%E4%BA%BA%E6%A0%BC%E7%9B%AE%E9%8C%B2


上の記事では、MMPIは「日本には50年代から導入された」とあるけど、MMPIの日本語版が正式にリリースされたのは1963年で、1993年に改訂版が出ている。また、「日本での使用頻度は日本語版が1963年に発刊されているにもかかわらず高くない」という。精神医学という文脈を離れ、教員とか公務員の採用試験で使われるようになったのはかなり最近のことではないだろうか。私が若い頃は就職試験で使われる心理テストというとYG(矢田部・ギルフォード)*1が定番だった。これって、村上宣寛氏による徹底的な批判があったけれど*2、今でもまだけっこう広く使われているんですよね。
幾つか問題点をランダムにメモ。
先ず、心理学*3という学問それ自体の存立に関わることだけど、心理学というのは構造的な知識ギャップ(知/無知)の対立を前提にし、そのギャップに依存している。YGにしてもMMPIにしても、実は〈正解〉がある。かくかくしかじかの回答すれば確実にかくかくしかじかのパーソナリティであると判定されるわけだ。つまり、その〈正解〉というか絡繰りを知っている者(心理学者)と知らない者(素人)という対立。しかし、YGにしてもMMPIにしても、そのギャップは埋められないわけではない。医師や臨床心理士や学生向けのデータ解釈のマニュアルがあり、それは書店で買ったり図書館で借りたりして、誰でも読める。つまり、誰でも、勉強する気さえあれば、YGやMMPIで自らの性格その他の心理的特性の提示を操作することが可能である*4
それから、個人的な感想なのだけれど、 YgにしてもMMPIにしても、選択肢は、はい/どちらともいえない/いいえ、しかない。MMPIの場合は、「どちらともいえない」が一定数を超えると、無効になって再検査ということになるので、実際には、はい/いいえの二択である。私が答えたら、みんな「どちらともいえない」になりそうだよ。意識調査でも、多くの場合、SD法というか5段階評価を使い、それをスコア化するということをしているのでは? 人間の心理をはい/いいえの二択に還元できると信じることに何かしらパラノイア的な精神病理を感じてしまうのだが。
宗教に関する質問は明らかに基督教文化圏を前提としているのだが(例えば、仏教徒にとっては、基督が再臨するかどうかというのは、明らかに重要な問題ではなく、どうでもいい問題ということになる)、宗教学(宗教社会学)的に興味深い質問もある。例えば、浄土真宗が強い地域と密教が強い地域ではどのくらい差異があるのだろうかとか。
「同性愛」に関する質問だったが、米国においては1973年までは精神疾患だったことと関係があるのでは? 


現在、国際精神医学会やWHO(世界保健機関)では、同性愛を「異常」「倒錯」「変態」とはみなさず、治療の対象からは外されています。例えば、アメリカ精神医学会は1973年、世界に先駆けて同医学会が発行している精神障害診断基準であるDSM−2の第七版から同性愛についての記述を削除しました。WHOも、「国際疾病分類」(ICD)の93年に発表された改訂第10版で、「同性愛はいかなる意味でも治療の対象とはならない」という宣言を行っています。日本では、94年12月に厚生省がICDを公式基準として採用し、95年1月にやっと日本精神神経医学会が、ICDを尊重するという見解を出しました。
http://www.sukotan.com/douseiai_01.html

かつて「DSM-?」で同性愛は「病的性欲をともなった精神病質人格」と規定されていたが、1973年12月、アメリカ精神医学会の理事会が同性愛自体は精神障害として扱わないと決議した。それにより「DSM-?」の第7刷以降「同性愛」という診断名は削除され、代わって「性的指向障害」という診断名になった[いつ?]。1980年の「DSM-?」では「自我異和的同性愛」という診断名が登場した。「自我異和的同性愛」とは、自らの性的指向で悩み、それを変えたいという持続的願望を持つ場合の診断名である(同性愛者であることを自ら肯定できている場合は病気ではない)。しかし、この診断名も同性愛自体が障害と考えられているとの誤解を生んだことや、自らの性的指向で悩むのは本人に問題があるからではなく、社会の偏見に起因するという問題意識などから、1987年のDSM-?の修正版「DSM-?-R」ではこれも性障害から除外された。そして1990年の「DSM-?」で精神疾患リストから同性愛は完全に消えた。

またWHOのICD国際疾病分類の第9版「ICD-9」(1975年)では「性的逸脱及び障害」の項の1つに「同性愛」という分類名が挙げられていたが、その後「精神障害と考えられるべきか否かにかかわらず、同性愛をここに分類」との注釈がついた。そして1990年採択の「ICD-10」では「同性愛」の分類名は廃止され、「自我異和的性的定位」という分類名が用いられたが、「性的指向自体は、障害と考えられるべきではない。」と注釈がついた。これにより同性愛自体は障害とされなくなった。1993年、WHOは再び「同性愛はいかなる意味でも治療の対象にならない」と宣言した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E6%80%A7%E6%84%9B


結論からいえば、現在、日本では同性愛は病気としてみなされてはいません。しかし、これまでには世界中でさまざまな見解が出されてきました。簡単に説明しましょう。
1952年にアメリカ精神医学会が発行した「精神障害の分類と診断の手引」(DSM)(第1版)において、同性愛は精神障害とみなされ、社会病質人格障害の章で「性的逸脱」とされました。その後、旧東ドイツの医師ダーナーが、「母親が妊娠中にストレスを受けて男児に男性ホルモンが十分に分泌されないと、男児は男性としての脳が未発達のまま生まれ、男性同性愛者となる」という説を発表し、同性愛が病気であるというイメージが強まりました。
しかし、その後、運動の進展や医師の理解が深まるにつれて、1974年に発行されたDSMの第3版以降においては、同性愛は精神疾患として治療する必要はないという方針に転換しました。1993年には世界保健機関(WHO)が国際疾病分類(ICD)(第10版)で、同性愛を治療の対象からはずしました。
日本の医学界においてもDSMやICDは尊重されています。文部省(現文部科学省)が1994年に「生徒の問題行動に関する基礎資料」で、同性愛を性非行として分類していた記述を削除しました。
http://www.jinken.ne.jp/flat_consultation/cat196/cat197/6.php
DSMの変化に対応して改訂されるべきだったのが、昔のまま出てしまっているとか。

社会の心理学化*5という観点ではどうなのだろうか。1990年代の初めに「ココロジー」という言葉が流行ったということを思い出したのだが、私たちの社会では、科学的な根拠があるものにせよないものにせよ、シリアスなものにせよ冗談みたいなものにせよ、心理テストを受け・その結果を解釈されるということの機会が増えており、(少なくともマジョリティにとっては)MMPIなどへの精神的な敷居を低くしているということはないだろうか。

*1:See eg. http://ja.wikipedia.org/wiki/YG%E6%80%A7%E6%A0%BC%E6%A4%9C%E6%9F%BB

*2:『「心理テスト」はウソでした。 』

「心理テスト」はウソでした。 受けたみんなが馬鹿を見た

「心理テスト」はウソでした。 受けたみんなが馬鹿を見た

*3:正確にいうと、MMPIは精神医学に属するものだが。

*4:こういうサイトで、肩慣らしをしたら? http://psycho.longseller.org/mmpi.html

*5:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060308/1141789582 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080710/1215616507 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080726/1217051072 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110420/1303277092

康定/長野

呉光于「康定地震致2死54傷 学生都軽傷」http://news.ifeng.com/a/20141123/42549921_0.shtml
Associated Press “Four dead in China earthquake” http://www.theguardian.com/world/2014/nov/23/two-dead-in-china-earthquake
劉忠俊、胡敏、付敬懿「四川康定6.3級地震遇難人数昇至5人」http://www.sc.gov.cn/10462/10464/10797/2014/11/23/10319226.shtml
http://news.sina.com.cn/c/z/sckdfsdz/?sina-fr=bd.ala.xw


中国四川省甘孜蔵族自治州康定県*1にて、北京時間11月22日16時55分にマグニチュード6.3の地震が発生し、23日15時30分時点で、5名が死亡し、54名が負傷している。
日本の長野県のマグニチュード6.7の地震*2と同じ日に起こったとはいえ、チベットから雲南や四川にかけての中国大陸西南部の地震は印度洋プレートの働きによるもので、太平洋プレートの影響が強い日本の地震と直接関連づけることはできないだろう。
康定について、Simon WinchesterのThe River at the Centre of the World第14章をマークしておく。

The River at the Centre of the World: A Journey Up the Yangtze, and Back in Chinese Time

The River at the Centre of the World: A Journey Up the Yangtze, and Back in Chinese Time

「探偵小説」と「音楽」(武満徹)

武満徹対談選―仕事の夢 夢の仕事 (ちくま学芸文庫)

武満徹対談選―仕事の夢 夢の仕事 (ちくま学芸文庫)

武満徹*1は1977年に『徹子の部屋』に出演している。以下の会話の流れは、あほらしくて何だか人に言いふらしたくなるような面白味を持っている;


武満 探偵小説家になりたいと思っていたんです、その頃は*2
黒柳 探偵小説家!? 探偵小説と音楽と似てるとこあります?
武満 あんまりないでしょう。
黒柳 アハハハ……そうですか。でも、人をどんどん引っ張っていくとか、そういうところはやっぱり……。(p.29)

羽仁未央

新聞の片隅に「羽仁未央」という文字列を発見した人は軽い驚きと懐かしさを覚えたのではないだろうか。ひっそりと旅立ったという感じ。
『朝日』の記事;


エッセイスト羽仁未央さん死去 父は映画監督の羽仁進氏

2014年11月20日03時44分


 羽仁未央さん(はに・みお=エッセイスト、メディアプロデューサー)が18日、肝不全で死去、50歳。葬儀は近親者で営む。後日お別れの会を開く予定。

 父は映画監督の羽仁進さん。著書に「香港は路の上」など。香港返還時に報道番組「ニュースステーション」で現地リポートを担当した。映画「ゲルマニウムの夜」ではスーパーバイザーを務めた。
http://www.asahi.com/articles/ASGCM5D7PGCMULZU00C.html

「ショスタコーヴィチ」の構成され方(吉松隆)

吉松隆「「ショスタコーヴィチの証言」は偽書的「聖書」である」http://homepage3.nifty.com/t-yoshimatsu/~data/BOOKS/Thesis/shotakoTES.html *1


なかなか興味深いテクスト。とはいっても、「ショスタコーヴィチ」についても、ここで問題にされている『ショスタコーヴィチの証言』についても、一般常識以上の知識を持っているわけではないのだが。
吉松氏は『ショスタコーヴィチの証言』の形式的な問題について、


そして、この回想が「質問に対する応答の形式で行なわれた」とヴォルコフ自身が説明しているにもかかわらず全部一人称で語られる形式になっている点も致命的である。これでは全体の何%がショスタコーヴィチ本人の言葉で何%がヴォルコフの質問なのかが分からない。
と書いている。それで思い出したのだが、私はスタッズ・ターケルについて、

(前略)スタッズ・ターケル流のオーラル・ヒストリーの形式上の問題点は、インタヴューアであるターケルの言葉が消されて、独白であるかのように見えてしまうということだろうか。あらゆる言説は(懐かしい言い回しで言えば)状況づけられている(situated)というか、ある呼びかけ/問いかけへの応答として生起する*2。そのことが隠されてしまうということ。
と書いていたのだった*3
また、吉松氏はテクストを、

言うまでもなく「新約聖書」はキリストの死後、キリストの弟子たちによって編まれた複数の福音書からなっている。そこには、キリストが語ったという言葉と、キリストがしたという行為が記載されている。しかし、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネがそれぞれ残した福音書は、同じ時の同じイエスの言動でも必ずしも同じ記載ではない。しかも、マルコとルカの二人はイエスの死後の弟子であり、キリストとは一面識もない人物なのだ。

 この「聖書」によって二千年もの間人類史に刻まれてきたのは、ナザレのイエスという一人の生身の人間の真実の姿ではなく、この人物を神の子ととらえる「キリスト教的世界観」で見たナザレのイエスという人の言動記なのである。

 だから、マタイが信頼に足るべき人物か?とか、キリストを尊敬するあまり美化していないか?とか、どこまでが事実でどこまでが粉飾か?、という問いが研究者の手によって発せられることと、「聖書」によってキリストを信じる信仰心とは矛盾しない。

 同じように、ヴォルコフが信頼に足る人物か?とか、どこかを粉飾していないだろうか?という疑問があることと、この「証言」の真価は矛盾しない。

 ゆえに、この「証言」はいまだに私にとって音楽関係のものとしては戦後もっとも興味深い書物であり、何度読んでも飽きない不思議な含蓄ある言葉に満ちた奇妙な辞典であり続けている。

 歴史上の人物となったキリストが単なる一人の人間ではなくなったように、音楽史上の人物となったショスタコーヴィチもまた、もはや単なる一人の音楽家ではない。ただのソヴィエトの一青年が、交響曲を15ほど発表して作曲家ショスタコーヴィチになったように、死後さらなる研究やデマや想像や証言や粉飾や伝説を施されて真に世界の共有財産である「ショスタコーヴィチ」に昇華する。

 ショスタコーヴィチを形成するのは19年前に亡くなったドミトリ・ドミトリヴィチ氏一人ではない。彼を理解し誤解し、抑圧し擁護した多くの人々、彼の音楽を演奏し研究し、嫌悪し愛した多くの人々。そのすべてが「ショスタコーヴィチ」という音楽文化に組み込まれてゆくのだ。

 だから、ショスタコーヴィチは今も、そしてこれからも作られ続けるのである。

と締め括っている。この洞察は、「ショスタコーヴィチ」のみならず、すべての人格、さらにはすべて存在者の意味的構成に当て嵌まるといえるだろう。また、ここからデリダ流のcontre-signature(連署=反対−署名)という概念を想起するのも的外れとはいえないだろう*4

スタッズ・ターケルに言及したのだが、ターケルについて、2つの文章をマークしておく;


山川浩生「ターケル『仕事!』:まだ途中だが涙が出そうなほどいい。」http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20120411/1334160981
桑原靖夫「20世紀の声:スタッズ・ターケル追悼」http://blog.goo.ne.jp/old-dreamer/e/91f986ad045fa530d670c71f150301be