改革の成果?

ちょっと前の記事だが、


「決して許されない」=教員の駆け込み退職―下村文科相

時事通信 1月24日(木)13時4分配信

 下村博文文部科学相は24日の記者会見で、全国の公立学校教員が定年を待たず、退職手当減額前の年度途中に「駆け込み退職」をしている問題について、「決して許されざる(ことだ)」と批判し、文科省として各教育委員会などへの指導に乗り出す考えを示した。
 同相は「(特に)クラス担任ら責任ある立場の先生方は、最後まで誇りを持って仕事を全うしてほしい」と述べた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130124-00000081-jij-pol

「駆け込み退職」する警察官も多いようなのだが、これについて警察庁の上層部は何かコメントしているのだろうか。この件に関しては、年度が終わらぬうちに退職金を変えるような制度が悪いとは言える。また「駆け込み退職」というのは〈経済的合理性〉に準拠すれば理の当然ではある。数ある合理性の中で、〈経済的合理性〉が突出するというのは、既に10年以上も進められている新自由主義的改革の成果なのではないだろうか。それともまだまだ改革が足りないというのだろうか。識者のご意見を俟ちたい。
さて、

washburn1975
労働, これはひどい, 自民党 これは辞め方が悪い。「お金を損したくないから辞めます」じゃあ、ブラック社会の元締が許すはずがない。こういうときは「おなかいたいからやめます」って言えばいいんだよ。 2013/01/24
http://b.hatena.ne.jp/washburn1975/20130124#bookmark-129748606
というのも、まあそうなんだなと納得した。

文庫と新書など

津田沼に出て、本を何冊か購入。

小川仁志アメリカを動かす思想 プラグマティズム入門』講談社現代新書、2012

杉田敦『政治的思考』岩波新書、2013
政治的思考 (岩波新書)

政治的思考 (岩波新書)

李妍〓『中国の市民社会−−動き出す草の根NGO』岩波新書、2012
中国の市民社会――動き出す草の根NGO (岩波新書)

中国の市民社会――動き出す草の根NGO (岩波新書)

Mary Douglas & Baron Isherwood『儀礼としての消費 財と消費の経済人類学』(浅田彰佐和隆光訳)講談社学術文庫、2012
儀礼としての消費 財と消費の経済人類学 (講談社学術文庫)

儀礼としての消費 財と消費の経済人類学 (講談社学術文庫)

金井美恵子『目白雑録3』朝日文庫、2011
目白雑録 3 (朝日文庫)

目白雑録 3 (朝日文庫)

保坂和志『言葉の外へ』河出文庫、2012
言葉の外へ (河出文庫)

言葉の外へ (河出文庫)

『ひよこクラブ特別編集 最新版 幼児食大百科』ベネッセコーポレーション、2012

『ママのためのこどもの食材便利帳』西東社、2013
ママのためのこどもの食材便利帳

ママのためのこどもの食材便利帳

内田樹『日本辺境論』新潮新書、2009*1

日本辺境論 (新潮新書)

日本辺境論 (新潮新書)

*1:これは古本。

川の東西など

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20121110/1352510364


橋本健二*1『階級都市』に依拠して曰く、


この本によると、現在では下町の代表格のように思われている本所(墨田区西部)・深川(江東区西部)は、かつては「下町」にも入らない「場末」扱いだったという。戦後の1961年(昭和36年)に朝日新聞東京版に載った記事によると、明治・大正時代にはさすがに本所と深川は下町に数え入れられていたが、向島墨田区東部)や城東(江東区東部)はまだ下町の埒外で、これらの地域が下町に入るのは昭和初期である。さらに、記事が掲載された1961年の時点でも、足立区・葛飾区・江戸川区の都県境近くの地域は下町から除外されており、葛飾区東端の柴又も下町から除外された地域に含まれる。映画『男はつらいよ』の第1作が作られた1969年には、柴又は下町に入るか入らないかの時代で、山田洋次監督によると、かつて下総国葛飾郡柴又村だった柴又の古くからの住人は、上野や銀座に行くことを「東京に行く」と言っていたそうだ。
階級都市―格差が街を侵食する (ちくま新書)

階級都市―格差が街を侵食する (ちくま新書)

まあ千葉人の立場からすると、隅田川よりも東は千葉県固有の領土であるわけですが。
それはさて措き、隅田川の両岸ということが重要な意味を持っている思想家としては、清水幾太郎がいる。清水は1907年に日本橋で生まれ、1919年に父親の転業のために、川を渡って、本所に引っ越した(小熊英二清水幾太郎』、pp.6-7)。小熊が引用している清水の回想録『私の心の履歴』から孫引きをしておく。清水は「本所という土地には容易に慣れませんでした」といい、

日本橋では、川向こうのことを一口に本所深川と呼んで、下等な特殊地帯と見る傾向がありました。確かに、江戸時代以来の繁栄と趣味とをとどめている日本橋から見れば、本所は汚いのです。沢山の工場が立ち並び、空が煤煙で曇り、空気が臭いのです。工場から流れ出る汚水のために、下水はムカムカするような臭気を放っています。そういう汚水が方々に泥沼を作っていて、そこが塵芥の捨て場になっています。(Cited in pp.8-9)
と述べている。また「両国*2では江戸つ子が大部分だったのに反し、本所では、どこを向いても、地方の出身者ばかりで、その人たちが無遠慮に方言を話すのです」(cited in p.9)。「山の手」-「下町」(日本橋)-本所の関係について、清水は

一口に下町といっても、日本橋と本所は違います。日本橋から見れば、山の手は田舎風の野暮なものということになります。それは軽蔑すれば済みます。ところが、本所から見れば、特に、あの泥沼を渡った後から見れば、山の手は乙に澄ました支配者です。それは憎いものです。(cited in p.13)
と言っている。
清水幾太郎―ある戦後知識人の軌跡 (神奈川大学評論ブックレット)

清水幾太郎―ある戦後知識人の軌跡 (神奈川大学評論ブックレット)


小熊氏は清水幾太郎と同じ「東京下町の庶民階層出身」の知識人として、福田恆存吉本隆明*3の名前を挙げている(ibid.)。下町出身の知識人の系譜をさらに遡ると、芥川龍之介がいる。龍之介は「京橋区入船町八丁目一番地」、現在の中央区明石町10-11に生まれ、生後8か月にして、母親の「発狂」のため、「本所区小泉町十五番地」、現在の墨田区両国3-22-11の芥川家へ養子に出された(See 関口安義『芥川龍之介』、pp..1-8)。
芥川龍之介 (岩波新書)

芥川龍之介 (岩波新書)

さて、『Olive』の1984年5月18日号には、

山手線の東側に、なぜ私たち*4は行けないのでしょうか? 池袋→秋葉原の外回りの外側、つまり東京都城北・城東地区に進入できない体になってしまった人は多い。
という言説が載っていた(乙木一史「1984 東京通勤圏でのサブカルとオタクの距離感」『ユリイカ』37-9、p.144から孫引き)。See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100202/1265126531 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110506/1304625968

*1:http://www.asahi-net.or.jp/~fq3k-hsmt/ http://d.hatena.ne.jp/classingkenji/

*2:多分、現在の「両国」ではなく、旧日本橋区両国(現在の東日本橋)だろう。小林信彦日本橋区両国の生まれ。

*3:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050705 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050819 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060227/1141008207 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060605/1149478230 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070105/1167974950 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080130/1201705768 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080305/1204690984 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090213/1234550817 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090322/1237741323 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091120/1258696685 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100130/1264834811 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110202/1296628031 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110212/1297527735 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110709/1310185825 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110710/1310272673 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110711/1310400277 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110713/1310486787 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110718/1310962569 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110722/1311261926 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110825/1314210338 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120107/1325897887 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120316/1331898804 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120322/1332376701 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120529/1338312298 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120927/1348755638

*4:オリーブ少女」。

村上春樹『意味がなければスイングはない』

意味がなければスイングはない (文春文庫)

意味がなければスイングはない (文春文庫)

村上春樹の音楽論集、『意味がなければスイングはない』を数日前に読了。
取り敢えず目次を写しておく;


シダー・ウォルトン 強靱な文体を持ったマイナー・ポエト
ブライアン・ウィルソン 南カリフォルニア神話の喪失と再生
シューベルトピアノソナタ第十七番ニ長調」D850 ソフトな混沌の今日性
スタン・ゲッツの闇の時代 1953-54
ブルース・スプリングスティーンと彼のアメリ
ゼルキンルービンシュタイン 二人のピアニスト
ウィントン・マルサリスの音楽はなぜ(どのように)退屈なのか?
スガシカオの柔らかなカオス
日曜日の朝のフランシス・プーランク
国民詩人としてのウディー・ガスリー


あとがき
参考文献

本からの抜き書きなどは後日にするつもりだったのだが、「あとがき」からちょっと写しておく;

言い訳をするのではないが、音楽について感じたことを文章のかたちに変えるのは、簡単なことではない。それは食べたものの味を、言語的に正確に表現することの難しさに似ているかもしれない。感じたことをいったん崩し、ばらばらにし、それを別の観点から再構築することによってしか、感覚の骨幹は伝達できない。(後略)(pp.330-331)