「読まなくてもいい」本など

関雄輔*1「情報だけではない本の価値」『毎日新聞』2022年7月10日


「ひとり出版社」「夏葉社」*2の社主で、『あしたから出版社』の著者でもある島田潤一郎氏へのインタヴュー記事。
2009年に 夏葉社を開業した動機のひとつには、当時いとこが死に、残された叔父と叔母を励ますということがあった。


当時の自分は仕事が見つからず、何かやることを見つけなくては潰れてしまいそうなくらい追い詰められていました。自分に何の才能があるのか。社会に必要とされているのか。そんなふうに社会の物差しで自分を測ると、自分が何者でもないということを突きつけられて苦しい。叔父と叔母のために本をつくることを思い付いた時。すごく気が楽になりました。目の前の人と向き合うことで、自分のことを考えなくて済むようにになったんです。
ちょうどその頃、出版業界も変わり始めていました。06年創業のミシマ社さんなど、小規模で作り手の顔が見える出版社が現れ、その動きにも勇気づけられました。

僕は本は「人」だと思っています。一昔前の人たちは、一冊の本をまるで自分の分身のように強い思いを込めて作っていたのではないでしょうか。だから僕も本に対しては、人に接するような気持で向き合ったいる部分があります。古い本の装丁には今見ても素晴らしいものが多いですし、本の形は目立てばいいのではなく、その作家に対して最大限の経緯を払ったものであるべきだと考えています。
それに、本は情報を伝えるだけのものではありません。読書を「インプット」と表現することにもすごく抵抗があります。極端な言い方をすれば、読まなくてもいい。僕も買って読んでいない本がたくさんあるのですが、部屋に置いておくだけでもうれしいし、励まされる。本はそういう存在ふぁと思います。

出版業界が厳しくなったのは、本が担ってきた「情報」の部分が根こそぎインターネットに移ったからではないでしょうか。その売り上げは二度と戻ってきませんが、本の価値はそれだけではありません。本を熱心に読む人の数は、ほとんど変わっていないのではないかと思うんです。

最近は年に4、5札のペースで本を作ってきましたが、少し減らしつぁいと考えています。経験を積んで慣れてきたからこそ、最初の頃のように時間と手間をかけて作ることを意識したい。そして、何よりもまず自分自身が良い読者でいたい。最近本屋がつまらなくなったとか、読者の質が落ちたとか言う人って、本をちゃんと読んでいない人だという気がするんです。良い読者で、自分自身が欲しいと思う本をつくり続けている限り、先のことはあまり心配しなくていいかなと思っています。