ネット・デビュー

某マイミクさんのご教示。
時事通信の記事;


2歳までに8割が「ネットデビュー」=親が写真公開−日米欧調査

 【ロサンゼルス時事】オランダのウイルス対策ソフトメーカー、AVGテクノロジーズは8日までに、日米欧10カ国で幼児の8割が2歳までに、写真などの形でインターネットの世界に登場しているとの調査結果を公表した。
 調査によると、2歳未満の幼児を持つ母親の81%が、子供の写真をアップロードしたことがあると回答。国別では米国がトップの92%で、日本は43%で最も少なかった。
 また、全体の33%は生後数週間の新生児の写真をアップロード、胎児の超音波画像を公開した母親も23%に上った。さらに、幼児向けのメールアドレスを既に作った親も7%いた。
 こうした行動の理由として、7割超の母親が「家族や友人と共有するため」と答えた。ただ、AVGは親の動機に理解を示しながらも、「プライバシー保護対策を講じなければ、情報はネット世界全体に流れてしまう」と注意喚起している。
 調査は9月に日本、米国、カナダ、欧州5カ国(英、仏、独、イタリア、スペイン)、オーストラリア、ニュージーランドで、2200人の母親を対象に行われた。(2010/10/09-15:23)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201010/2010100900229

これについて、将来〈肖像権〉とかを巡って子どもが親を訴えるということもあるかも知れないと誰かが言っていた。まあ、それは親子関係が良好に保たれるか悪化するかにかかっているんじゃないか。
以前、家庭用ヴィデオ・カメラが普及し始めた頃に、自分が子どもだったら生まれてから大人になるまでの人生の主要なイヴェントが全て動画で記録されているなんて嫌だと言っていた人がいた。今やそれがウェブへのアップロードということになる。「胎児」の段階から既にというのは凄いと思った。ただ、〈記録〉されることと〈記憶〉されることは全く別の事柄であるとは言っておかなければならないだろう。
調査したのが「ウイルス対策ソフトメーカー」なので、こういう結論にはなるのだろう。この危惧は全く正当なものだが、〈性悪説〉というのも窮屈で疲れるものだということはある。

ところで、上の時事の記事に、広告として、「春秋叙勲の候補者としてふさわしい者の推薦(一般推薦)について」*1というのがリンクされていた。曰く、


春秋叙勲の候補者にふさわしい人を一般の方々が推薦できる「一般推薦制度」が平成15年から実施されています。
 この制度は,人目につきにくい分野において真に功労のある人や多数の分野で活躍し功労のある人などを春秋叙勲の候補者として把握するためのものです。


【候補者にふさわしい人】
 国家又は公共に対し功労のある人(おおむね20年以上活動)で次の(1)又は(2)に該当する人


  (1) 70歳以上の人
  (2) 55歳以上の人で「精神的肉体的に著しく労苦の多い環境において業務に精励した人」又は「人目につきにくい分野で多年にわたり 業務に精励した人」


 ただし,自分自身や二親等内の親族を推薦することはできません。

こういう制度があったんだね。「推薦者」のほかに「賛同者」が2名必要だという。

壺を振っても

最近http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100920/1284997983で、植草一秀統計学についての理解*1に突っ込みを入れたのだが、「東京第5検察審査会」が小沢一郎の強制起訴を議決したことを巡って、田中康夫*2が何か変なことを言っているらしい*3。「検察審査会」の平均年齢が30.9歳*4というのがおかしい、若すぎる、何か人為的な操作があるんじゃないか、と。
それについて、古寺多見氏の


(前略)さらに私が気になるのは、「重い病気、海外旅行その他やむを得ない事由がある」場合は、検察審査会が「承認」すれば辞退できることになっていることだ。

働き盛りの人の場合、真の理由は「重い病気、海外旅行その他やむを得ない事由」でなくて単に「仕事が忙しい」場合であっても、適当な理由を作り上げて辞退する場合が結構あるのではないか。実際、私自身の仕事がもっとも忙しかった時期のことを思い出すと、なんだかんだ理由をつけて辞退しようとしたに違いないと思うし、20代の頃はそんな状態ではなかったなとも思い出す。もちろん、40代よりはるかに忙しい20代も多いだろうが、一般的には仕事をする人間が背負う責任は年齢を重ねるにつれて重くなる。正当な理由のない辞退には罰則があるとは聞いているが、本当に忙しいビジネスマンなら、どんな手を使っても審査員になることを逃れようとあの手この手を使うだろう。検察審査会に金品を贈ることだって考えかねない。

辞退可能性を考慮に入れた母集団の年齢構成を正確に推定すること自体が不可能だが、正当、不当を問わず、何らかの理由で審査員を辞退した中年が多かったとすれば、平均年齢が下がることは十分に起こり得るのではないか。私が立てている仮説は、こうしたズルが結構横行しているのではないかというものだ。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20101011/1286807873

という解釈も興味深いが、もっと統計学というか確率論の基本に関わることだろうと思う。
理論的には、骰子を投げれば1〜6のどの目も同じ頻度で出てくる。しかし、経験的にはそうでないことが多い。また、同じ目ばかり連続して出てくることもよくある。理論と一致するように出てくる目の頻度が均されるにはそれなりの試行数が必要なのだ。だから、半が何回も続いたので次は丁に賭けようとしても、また金を擦ってしまう可能性は高い。それから、ここでイカサマだ! とキレれば、かなり高い確率で簀巻きにされて東京湾に投げられてしまうことになる。「検察審査会」の抽出だけど、20歳以上の日本国民というきわめて大きな母集団から11名。つまり、試行は11回だけ(辞退者とかもいるので、実際はそれより多い筈だけど)。サンプル数が少ないと批判される與論調査よりもさらに少ない。このくらいの試行数だったら、サンプルがばらけない状態(博打の例で言えば、半ばかり続けさまに出てくる状態)が出現しても不思議ではないと思う。勿論、年齢層やジェンダーのバランスを維持するために、クォータを設定してサンプリングするということは検討に値するとはいえるだろうけど。
確率論の基礎知識に関しては、小島寛之『サイバー経済学』を取り敢えずマークしておく。この本はタイトルはアレだけれど、内容はまっとうです。
サイバー経済学 (集英社新書)

サイバー経済学 (集英社新書)

ところで、平均年齢30.9歳の若造集団に何がわかるんだという声もあるという。最近高齢者が若者を搾取しているとか、世代間対立を煽る言説も多いわけだが、そういう人たちはこのあからさまな〈若者差別〉言説にどういう反応をするのか。

既に漏らしている!

http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20101012/p1


渡部昇一*1ロッキード事件を巡る田中角栄に対する裁判を批判した「「角栄裁判」は東京裁判以上の暗黒裁判だ!」(『諸君!』1984年1月号)が引用されている。それによれば、渡部は


 最後にわれわれの中で、外国の報道機関、外国人の物書き、外国人の法律学者などなど、法律に接触する人々に、次のことを決して漏らしてはならない。

田中角栄被告は、ただの一度も最重要証人に反対尋問する機会を与えられることなく有罪を宣せられたのである」

 それを聞いた文明国の人は、百人が百人、千人が千人、万人が万人、一人残らず日本はそんな野蛮国であったのか、と仰天することであろう。われわれはそんな国の恥を世界の目にさらすことはないのである。

と書いている。
渡部の論の是非に関しては、上に掲げたエントリーを参照していただくとして、これから書くことはとてもくだらないことだ。渡部昇一は『諸君!』を「外国人」は読まないと思っていたのかね。いくら「外国人」に「漏らしてはならない」と言っても、日本で合法的に、それも文藝春秋というけっしてマイナーではない出版社の雑誌に書いた以上、「外国人」も読んでいた筈なのだ。『諸君!』の日本国外持ち出しが禁止されていたという事実はないわけだし。1980年代当時、『正論』の影は薄く、〈右〉の雑誌といえば『諸君!』だったのだ。もしかしたら、日本語で書いてあるのでガイジンにはわかるわけがないと思っていたのかも知れない。たしかに、当時はデイヴ・スペクターのデビュー以前ではあるけど。しかしながら、当時朝鮮半島や台湾には日帝時代の教育を受けた人、つまり日本人と同レヴェルで日本語を解する人が今よりも多く生きていたわけだけれど。

「キャーッ」など

ライオンは寝ている

ライオンは寝ている

大貫妙子『ライオンは寝ている』*1から抜書き;


虫を見たりしてキャーッとかコワーイとかって、女の子は昔っからそんな風だったのでしょうか。そばでキャーッなんて叫ばれると、私はその声のほうによほどびっくりしてしまいます。そもそもキャーッなんて奇声は、すぐに出るものではありません。いつもキャーキャー発していない限りは。世の中が騒々しいのは、このトーンの高さにも原因はあります。TVのバラエティー番組などつけると、私には人の叫び声しか聞こえてきません。どこか静かな所へ行きたくなってしまいます。
ついでに、私のようなわがまま人間は他人に顔色をうかがわれるのも、苦手です。いえ、苦手をとおりこして嫌いです。少々浮かない顔をしている時だって、自分がどうしてそんな気分なのかを説明出来ません。逆に明るいと「いやに元気だね、どうしたの?」と、くるわけです。それは、その時の調子だから、そうなっているとしか答えられません。
顔色だけではなく、人が何か行動を起こすと、その全てに理由がくっついていないと、他人は安心しません。そうした人社会のものの見方や、他者との関係性で野生動物を見たり語ったりすることは、とても危険です。野生動物だって行動のいちいちに理由があるわけではないのです。さらに野生動物の本などには「〜は〜をしない。」と書かれているにもかかわらず、したりすることもあるのです。
ディズニーをはじめ、自然を語る映像の多くが、人のものの見方や行動を野生動物にあてはめるという過ちを犯してきたと思っています。そもそも動物に、いい奴も悪い奴もいないのだし、アフリカの平原を見渡しながら思うことはただひとつ。ここには善も悪も無い。そのうえで非常にたくさんのドラマが起こっているということなのです。(「はじめに」、pp.8-9)

クロノスなど

火曜日、妻と一緒に青山へ。
先ずスパイラルで、『mina pherhonen 進行中』を観る。デザイナー皆川明のスケッチを中心に服(テキスタイル)が出来上がる過程を展示する。十文字美信によるモデルの首から上をフレームアウトした写真が面白かった。
以前はスパイラルの1階にあったCDショップがなくなっていたのだが、2階に以前よりも規模を小さくして移動していた。Kronos Qurttet Music of Bill Evans(2004)を買う。オリジナルは1985年にLPとしてリリースされたもの。

Music of Bill Evans

Music of Bill Evans

それから、「グリデカナ」青山店*1。妻の会社が新たに立ち上げたテキスタイル・ブランド。駐車場だったスペースを潰したという店の前のガーデンが面白く、冬や夏にはどんな表情を見せるのか想像してしまう。
そこから、1kmばかり歩いて、ワタリウム美術館*2。『藤本壮介展:山のような建築 雲のような建築 森のような建築』。Tokyo Apartmentや武蔵野美術大学図書館などによって注目を集めている建築家藤本壮介の個展。2階のインスタレーション「雲のような未来の住居」は透明なパイプの組み合わせによる空間構成。ここで、「巣」/「洞窟」という対立が提示される。3階の「建築が生まれるとき」。夥しい建築スケッチや模型。4階の「建築と東京の未来を考える」はフロアいっぱいに東京青山一帯の地形図が拡げられ、その中で「山のような東京」と「空中の森/雲の都市」が提案される。「山のような東京」は〈人工の山〉としての高層建築。藤本壮介『建築が生まれるとき』(王国社、2010)を買う。
建築が生まれるとき

建築が生まれるとき