回来上海

6月2日、13時45分発のJALで成田を発って、北京時間の4時半頃浦東に着く。上海はどんよりと曇って(おまけに夜になって雨が降り出し)、数日前の東京の反復のよう。勿論、東京よりも蒸し暑いが。飛行機は窓側の席だったが、不図窓の下を見下ろすと、巨大な〈水〉が拡がっているのが見えた。何だと思ったが、機長から琵琶湖上空を通過したというアナウンスがあった。しかし、アナウンスの時点では飛行機は既に京都の上空か。
機内でアサヒのPrime TimeとサントリーのモルツのPremiumを呑む。アサヒはスーパー・ドライの開発という重大な前科があるが、Prime Timeはアサヒに対してかなりの減刑を考えてもいいんじゃないかと思わせる程、美味い。
自宅に帰ると、Mさんから呼び出され、石門二路の居酒屋「吉蔵」へ行く。日本から上海に帰って、生中を呑みながら、鰹の土佐造りとか烏賊の塩辛とかを食べるというのも奇妙と言えば奇妙。

「慚愧」

承前*1

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20070529/1180392892


政治家による「慚愧」の用法を引く。田中角栄渡辺美智雄石原慎太郎橋本龍太郎、松永光、小泉純一郎
ところで、『読売』が伝える「首相周辺」の釈明はあまり意味が分からず;


首相コメント「慚愧に堪えず」、「残念だ」の間違いか

 安倍首相が松岡農相の自殺について、「慚愧(ざんき)に堪えない」と述べたことについて、「『残念だ』という意味で使ったのであれば、間違っている」という指摘が出ている。


 「慚愧」は「恥じ入ること」(広辞苑)という意味だからだ。首相周辺は「最近は反省の意味でも使われており、問題はない」としている。
(2007年5月28日23時46分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070528ia27.htm

BB on 見田宗介

http://www.gakkou.net/07ksbooks/g02007.html


Econthoughtさん経由で知る。

「先生」の「おすすめ本」ということで、馬場靖雄さんが見田宗介社会学入門』(岩波新書、2006)を「おすすめ」している。曰く、「本書は社会学を「学ぶ」のみならず、社会学を「生きる」可能性をも示してくれる、優れた入門書である」。見田さんのこの本は随分前に読了して、そのままに放置している本。

社会学入門―人間と社会の未来 (岩波新書)

社会学入門―人間と社会の未来 (岩波新書)

馬場さんの他の「おすすめ本」は、阿部真大『搾取される若者たち』とパオロ・マッツァリーノ反社会学講座』。

ところで、Skelita_vergberさんが高原基彰『不安型ナショナリズムの時代』(洋泉社、2006)に対する長文のコメンタリーを書いている*1。高原さんの本は、Skelita_vergberさんと同様に(或る関係で)草稿段階で読んでいるし、本の方もかなり以前に読了しているのだが、Skelita_vergberさんに刺戟を受けて、これからちょこちょことコメンタリーを書いていこうかなとも思う。

恵比寿/銀座/不二家

『ZERO90』というフリー・マガジン(楽天発行)が出たようで、その0号の特集は「やっぱり不二家が好き。」。あの「ペコちゃん」を初めとする昔の不二家のパッケージやグラフィックが紹介されていて、とても楽しい。奈良美智風の不機嫌な「ペコちゃん」というのもあったんだ!
さて、その中でKenichi Hatsumiという方が「70年代に幼少期を過ごした僕ら世代にとって、不二家の商品は日常のあらゆる場面に登場する一番身近なお菓子だった」として、


(略)人生の節目節目に不二家があった、っていうか、要するに僕らは不二家に育てられ大人になったようなものだ、ってのは過言? といっても、僕が生まれ育った恵比寿の商店街には不二家のお店がなくて、だから「ANYTIME WITH Peko!」というわけにはいかなかった。あのペコちゃん人形の顔をユサユサできるのは、主に親に連れられて銀座に「お出かけ」したとき。渋谷に買い物に行くときなんかは普段着OKなのに、当時の大人たちにとって「銀座は特別だから」ということらしくて、サスペンダーつき半ズボンにピカピカの革靴という「よそいき」コスプレを強要される。だから数寄屋橋の交差点でペコの頭にタッチするときは、決まって「よそいき」気分。僕にとってペコちゃんはいまだに「特別な町=銀座」の象徴で、つまりは東京の象徴。「東京の中心にはペコちゃんが立っている」というシュールな感覚は、この歳になっても消えない(p.14)。
と書いている。東京に育った人の空間感覚のサンプルとしてメモしておく。
ところで、「ペコ」の語源は東北弁で牛を意味する「ベコ」であるという(p.15)。

さて、同じ雑誌の清絢という方のコラムで、御茶ノ水というか駿河台の「喫茶 穂高」が未だ健在であることを知る(p.37)。私は「穂高」の前をこれまでに少なくとも3000回以上通過しているが、実は一度も入ったことがない。コラムによれば、串田孫一がこの店の常連で、店のマッチのイラストレーションは串田孫一によるもの。