広場恐怖?

Via https://matsudama.hatenablog.com/entry/2023/09/16/171514

MBSニュース「“録画モード“で側溝にスマホ潜ませ盗撮か…男は発見時、側溝の中で四つん這いに「スカート覗こうと…」スマホ女子高校生に拾われ御用 兵庫県警」https://news.yahoo.co.jp/articles/d3466e6b776135c5c92f13b2e650f9ad892b0551


神戸市東灘区の話。


警察によりますと平井容疑者は、9月8日の午後3時ごろ、東灘区の地下道の側溝にスマートフォンを設置し、通りがかった女子高校生(18)のスカートの中を撮影した疑いが持たれています。

 被害者の女性が側溝にスマートフォンがあることに気づき交番に落としものとして届け出ましたが、録画モードになっていたことから、警察は盗撮の可能性があるとみて捜査を開始。

 警察はスマホのロックを解除できませんでしたが、14日に捜査員が現場周辺を調べていたところ、近くの側溝の中で四つん這いになって潜んでいた平井容疑者を発見したということです。

 その際、捜査員が「何をしているのか?」と問いただしたところ、平井容疑者は『スカートを覗こうとしていた』と話したということです。

 その後、警察は平井容疑者を任意同行し警察署でスマホのロックを平井容疑者に解除させたところ、被害者を撮影した動画が保存されていたということです。

 警察の調べに対し平井容疑者は、「盗撮するためにスマホを溝の中に置いたことは間違いありません」と容疑を認めているということです。

最初にこの事件から連想したのはもっと汚い話なのだった。スマートフォンもなく水洗トイレもあまり普及していなかった時代であれば(以下自粛)。
「側溝」というのが重要であるらしい。


NEWSポストセブン「【側溝からスカート覗き見】逮捕・36歳「側溝マン」の母親が語っていた“特殊な興味” 「生まれ変わったら道になりたい」と供述、筋金入りのローアングル・マニアか」https://news.yahoo.co.jp/articles/dc39d83926f9dd52c343716832fdb27585b7cb05


曰く、


「側溝」「盗撮」と聞いて思いだす読者もいるかもしれない。逮捕された平井容疑者はかつて「側溝マン」とネット上で呼ばれた人物だった。

 初犯はさかのぼること10年前、2013年6月6日──当時も今回の事件現場と同じ神戸市東灘区にある、側溝(幅約30cm、深さ約50cm)から20代女性のスカートの中をのぞき見したことで、県迷惑防止条例違反容疑で逮捕されている。その側溝は近くにある女子大の通学路で、女子大生を狙っていたものと見られている。

 女性が側溝のわずか2cm、横10cmのふたの穴から、人の目が見えているのに気づき、110番通報。当時、平井容疑者は警察に「仕事が休みだったので、午前8時頃から溝にこもって女性の下着を眺めていた」「生まれ変わったら道になりたい」と供述したとされる。

 2回目に逮捕されたのは2015年だ。同年8月16日午前8時ごろ、やはり東灘区の道路下の側溝内から、通り掛かった美容師の女性(37)のスカート内をのぞき見ようとした疑いで逮捕されている。当時、女性は側溝の鉄ぶたから出ている髪の毛に気づき、落ちているウィッグだと思って近づいたところ、容疑者と目と目が合うという恐怖を味わった。

 当時から、“筋金入りのローアングル・マニアか…”として話題になっていた容疑者。2015年の逮捕時、週刊ポストは容疑者の母親に話を聞いていた。

「息子は小さいころから側溝や狭いところに入り込んで遊ぶのが好きで、中学生になっても続いていました。子供っぽいところが抜けきれていなかったみたいなのですが、それが年齢を重ねて性的な興味と結びついてしまって、こんなことをしてしまったみたいなんです。

 人付き合いが昔から苦手で、仕事のストレスなどもあったのかも知れません。本人は、警察に捕まって反省しています」

犬とか猫でも狭い場所に隠れるのを好むということがある。人間の子どもでも、押入れのような狭い空間に隠れることで安らぎを覚えるということもある。勿論、親などに罰として押入れに閉じ込められたことがトラウマになっているという人もいるだろう。閉所恐怖症の人もいる。筒井康隆は閉所恐怖症のためにホテルはスイート・ルームしか泊まれないという。逆に、だだっ広い空間に恐怖を感じる広場恐怖症の人もいる。彼は広場恐怖症なのだろうか。勿論、狭い場所を好む/嫌う、広い場所を好む/嫌うというのは個性にすぎず、そのことによって生活がしづらいのであればセラピーを受ければいいという話だ。また、閉所への執着と窃視や盗撮への執着は別の話だと思う。
ただ、再犯を防止したいというなら、本人が閉所への執着や窃視や盗撮に至った自らの心理的な生活史に向き合うことがなければ、どんなに重刑を科しても無駄だろう。