法曹へのパッション

山下泰平*1「五〇年間ずっと嘆き続けながら問題を放置した日本社会」https://cocolog-nifty.hatenablog.com/entry/2023/05/23/172400


所謂「苦学」という問題。


そもそも働きながら学ぶ近代的な苦学が発生したのは、およそ明治二五(一八九二)年あたりのことだ。厳密に検証すると明治二〇年あたりにも苦学はあり微妙なところもあるのだが、そんなことを厳密に検証している暇人などこの世に存在しないため、明治二五(一八九二)年に苦学が発生したということにしておこう。それから昭和一〇年代まで、つまり五〇年の間、苦学は無理であり続けた。なぜ苦学にまつわる問題が放置されていたのかといえば面倒クセーからで、とにかく苦学は軽く雑に扱われていた。

雑に扱われていた実例としては、各々の時代で様々な人間が「〜年前なら苦学も出来たのだが……」などと、表面上は嘆息していることを挙げることができる。「10年前には出来た」という記述を信じ、10年前の資料に当ってみると、そこでもまた「〜年前なら苦学も出来たのだが……」と語られているといった状況で、五〇年ほど「〜年前なら苦学は出来た」と語られ続けているのである。つまり「〜年前なら苦学は出来た」の『〜年前』というのは調査をした結果ではなく、あくまで語っている人間の感覚で、なんら根拠のない発言だということになる。

さて、戦後社会において「苦学」といえば、司法試験受験生なのではないかと思った。
立憲民主党の藤原規眞氏はかつて司法試験のために七浪して、その間「日雇い労働者」をしていたという*2藤原氏は8年目には目出度く司法試験に合格したようだけど、私は司法試験受験歴二桁年という人たちをよく知っていた。その人たち*3の多くはそこそこ以上の大学を卒業し、それなりに安定した企業に就職したにも拘らず、受験のために職を辞し、不安定なアルバイトに身を投じていた。また、この人たちはリッチになりたいとか権力を握りたいというような野望に燃えているというわけではなく、その一方で(藤原氏のように)社会正義に燃えているというわけでもなかった。あるのは、ただただ疱瘡もとい法曹へのパッションであるように思えた。直接付き合いはなくても、赤線に塗れた法律の参考書を電車の中で目の色を変えて読んでいる人を電車の中とかで見かけたことがある人は多いのでは? 
にも拘らず、司法試験受験生というのは社会の中で隠された存在になってきたのではないか? 研究の対象としても、小説や映画などのキャラクターとしても。数が違うと言われればその通りだけど、大学受験生とは対照的である。司法試験受験生をウリにしたミスター梅介という藝人がいたけれど、これも1980年代の話だ。