小泉健*1「悔い改めを学ぶには この三冊!」『本のひろば』771、pp.2-5、2022
「悔い改めるとは、自分自身と自分の罪から離れ、神に立ち帰ることです」という(p.2)。
「三冊」とは、
近藤勝彦『しかし、勇気を出しなさい』
ジャン・カルヴァン『キリスト教綱要(改訳版)第3篇』
ヘンリー・ナーフェン『いま、ここに生きる』
『しかし、勇気を出しなさい』を巡る部分から;
旧約聖書で「悔い改める」ことを指すもっとも重要な語は「シューブ」です。「出発点に戻るために向きを変える」という意味です。聖書では「立ち帰る」などと訳されます。旧約聖書の「シューブ」については、W・ブルッゲン『旧約聖書神学用語辞典』(日本キリスト教団出版局)の「悔い改め」の項目で学ぶことができます。
新約聖書で「悔い改め」と訳されているのは「メタノイア」ですが、聖書ではこの語にも「シューブ」の意味合いが込められています。新約聖書の「悔い改め」についてたいへん教えられるのは、J・シュニーヴェントの「イエスは復帰ということをどのように理解されたか」です。『放蕩息子』(新教出版社)に収録されています。(残念ながら現在品切れです。同じ主題の論文「福音的メタノイア」は『旧新約聖書の一つの使信』新地書房に収録されています。出版社がなくなったため、こちらも入手不能です。)
シュニーヴェントは、「悔い改め」とは神に立ち帰ることであることを明確にし、さらに、主イエスが近づいてくださり、罪の赦しへ、永遠の救いへ、主イエスと共に生きることへと招いてくださるのだから、悔い改めの呼びかけそのものが喜びの知らせなのだと語ります。(pp.2-3)
旧新約聖書を貫いて、神はわたしたちに呼びかけ、ご自分のもとに帰るようにと招いておられます。神に帰ることは、神なしに生きることから決別し、神にお従いして生きることです。信じることは生きることの全体に現れ、福音は倫理となって形作られます。(後略)