「発酵デザイナー」の小倉ヒラクという方のツィート;
未知なもの、意図が不明なもの、意味がわからないもの。20代頃までにどれだけこういうものに触れられたかで「精神の免疫機能」が鍛えられる。免疫がつく前に目的や損得の意識で「なんだかよくわからない面白いもの」を排除してしまうと不条理に耐えられない人格になってしまうよ。
— 小倉ヒラク | Hiraku Ogura (@o_hiraku) 2021年8月2日
残念ながら社会には不条理が満ちているので、「わけわからないもの」の免疫がついていないと、即効性のありそうな正解を差し出してくるアヤしいヤツを盲信してしまいがち。不条理は「あってはならないもの」ではなく「そのへんにいくらでも転がっているもの」なので、その事実に備えて鍛錬するのだ。
— 小倉ヒラク | Hiraku Ogura (@o_hiraku) 2021年8月2日
「ピュシス」と「ロゴス」の二項対立を立てる論法というのがある*1。この論法の問題点のひとつは、「ロゴス」を剥がすとそこには無垢な「ピュシス」が存在するという誤解を与えかねないということだろう。勿論、「ロゴス」をちょっと外れるとそこに待っているのは論理も秩序もへったくりもないカオス(混沌)だけだという誤解もある。そこからは、イージーな、カオス以上に怪しいトンデモ「ロゴス」が欲望されるということになる。
「不条理」という言葉は味わい深い。まあ、それよりも味わい深いのは、その意味合いをひとつの漢字に濃縮した畸という言い方だろう。区画整理をして、まさに「条理」をつくろうとして、余ってしまった土地。要するに、「ロゴス」は全世界を覆うことができないということ。また、「不条理」や畸は「条理」に先立ってあるのではなく、「条理」の出現と同時的に、或いは僅かに後れて出現するということになる。