中野督夫

『デイリースポーツ』の記事;


センチメンタル・シティ・ロマンスの中野督夫さん死去 67歳、闘病3年
7/29(木) 14:07配信


デイリースポーツ


 今年で結成48周年のロックバンド「センチメンタル・シティ・ロマンス」*1のリーダーでギタリスト、中野督夫(なかの・とくお)さん*2が27日午前5時5分に死去したことが、バンドと中野さんのフェイスブックで発表された*3。67歳。結成45周年だった2018年6月26日、くも膜下出血のため入院。緊急手術を受け、闘病を続けていた。通夜は30日、葬儀は31日に都内で営まれる。

 1973年、名古屋を拠点にセンチを結成し、75年に細野晴臣のバックアップでメジャーデビュー。ウエスト・コースト・ロック的なサウンドで人気を博し、加藤登紀子らミュージシャンの支持も厚かった。一度も解散していない日本最古のロックバンドであるセンチのかたわら、中野さんはソロやベーシストの湯川トーベンとのユニットなどでも活動していた。

 倒れる約3カ月前の18年4月1日、中野さんは神戸チキンジョージのライブ後、デイリースポーツのインタビューに応じた。そこでは「バンドマン=家族みたいなもんじゃない?ケンカもせず続けて来られたのはある意味一つの偉業だと思う」と45年間を振り返り、「続けていくこと。いつもセンチが頭にあって、センチがナンバーワン、てっぺんにある」という姿勢を語っていた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7b97f9c6c4b4b1bbb10677b32070affbc5227581

「日本最古」だった!
センチメンタル・シティ・ロマンスは竹内まりや加藤登紀子のバック・バンドもやっていたので、それと意識しないうちにセンチメンタル・シティ・ロマンスの演奏を聴いていた人も少なくない筈。
さて、巫慧敏の死*4も「3年余りの闘病の末」だった。
『スポーツ報知』の記事;

aminさん、3年余りの闘病の末に死去 48歳 2005年紅白歌合戦に出場
8/1(日) 10:15配信


スポーツ報知

 2005年のNHK紅白歌合戦に出場するなど日本でも活躍した中国人歌手のamin(アミン)さんが3年を超える闘病の末、先月29日に病気のため死去していたことが分かった。48歳だった。

 aminさんの家族が先月31日、公式ホームページを更新。「このたびは、とても辛いお知らせをしなければなりません。歌手amin(巫慧敏)は、3年余りの闘病の末、2021年7月29日(木)15:55 永遠の眠りにつきました。ここに、生前の御厚誼を心より感謝いたしますとともに、謹んでお知らせ申し上げます」と闘病の末に先月29日に死去していたことを報告。

 そして「故人は、最期の日まで、前向きに生きる気力を強く持ち続けました。誰にも知らせることなく、一生懸命、一生懸命、一つひとつ勉強をしながら、頑張って来ました」と病気を黙ったまま闘病していたことも明かした。

 葬儀などについては「つきましては、故人の強い気持ちと、大変なご時世を考慮し、家族だけのお別れ会とさせていただきました。御香典、御供花などは、お気持ちだけありがたく頂戴し、辞退させて頂きたく、お願い申し上げます」と家族で執り行ったとした。

 関係者やファンに報告が遅れたことには「これまでお世話になった皆様、お一人お一人に御挨拶申し上げるべきところ、誠に勝手ながら、故人の遺志をご理解頂ければありがたく思います。重ね重ね、どうもありがとうございました」とお詫(わ)びした。

 最後は「これからも、歌手amin(巫慧敏)の歌声が、ずっとずっとみなさんの心に残りますように、心から願います。2021年7月31日(土) 家族一同」と結んだ。

 訃報を受け歌手の平原綾香は先月31日に「あまりにもショックで、どう言葉にしていいか分かりません。aminさんとは、私のデビュー当時からご縁をいただいていて、会うたびにいつも優しくしていただき、歌声やお人柄も素晴らしく、いつも尊敬していました。そしていつも、可憐なお花のような方でした。上海万博でも一緒に歌わせていただき、今でもあの経験は忘れられないもので、かけがえのない時間をいただきました」「『あやちゃん、またぜひ、一緒に歌いましょうね!』私も、その日を心から楽しみにしていた矢先の訃報でした。aminさんと出会えて本当に本当に幸せでした。これからもずっと、aminさんが大好きです」などと追悼した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/cc00b4da3ca30447d3dc51a900755169d182d9e4