換喩的な悍ましさ

『読売新聞』の記事;


「肉弾三勇士」の軍服の一部?布切れあしらった記念品、豪商宅で見つかる
3/14(日) 17:15配信


読売新聞オンライン

 1932年(昭和7年)の第1次上海事変で戦死し、「肉弾三勇士」とたたえられた日本兵3人の軍服の一部とみられる布切れをあしらった記念品が、福岡県小郡市指定有形文化財「平田家住宅」で見つかった。当主の平田武敏さん(78)は「珍しい貴重な資料。機会があれば皆さんに見てほしい」と話している。(大石健一)

 三勇士は、陸軍の久留米工兵第18大隊所属の1等兵(戦死後、伍長)だった北川丞(すすむ)、江下武二、作江伊之助の3人。32年2月22日に上海の廟行鎮(びょうこうちん)の戦いで、爆薬を詰めた破壊筒を担いで敵陣の鉄条網に突っ込み戦死した。「爆弾三勇士」とも呼ばれ、軍歌がいくつも作られるなど国民的な人気を博した。

 記念品は「爆弾三勇士記念」と書いた「昭和八年十一月」の日付の紙に、3人の顔写真と軍服の一部とみられる数センチの布きれが付いている。3人の上官の分隊長、小隊長、中隊長、大隊長の署名と押印もある。

 また、「三勇士被服片 附記念書」と書かれた広瀬勝滋大隊長名の「昭和九年二月一日」の日付の贈り状もあり、記念品は何セットか作られたものとみられる。昨秋、小郡市教委職員と資料整理中に発見したという。

 広瀬は日露戦争で戦死して「軍神」とたたえられた広瀬武夫海軍中佐のおい。平田さんの祖父瑞穂さんが陸軍中尉で在郷軍人三井郡連合分会長を務めていたことから親交があり、贈られたらしい。幕末~昭和初期の豪商だった平田家には広瀬中佐の服もあったという。

 同市教委文化財課の大庭敏男主査(49)は記念品について、「軍を持ち上げ、国民の愛国心を高める物として扱われており、当時の風潮をよく示す資料だ」と評価する。平田さんは「三勇士ゆかりの品があるとは父から聞いていた。戦死した人が英雄になった時代もあったことを示す資料で大切にしたい」と語った。
https://news.yahoo.co.jp/articles/33ddf5c1bfd4d26a828016e62e774d4117b85348

たしかに「珍しい貴重な資料」だろうけど、布切れとはいえ、死者の生前の汗や血がしみ込んでいるもの。換喩的な意味において「爆弾三勇士」の分身といえる。この旧家の何処か片隅にしまい込まれ、今回「見つかった」ことには、こうした換喩的な悍ましさも関係していたのでは? 
「爆弾三勇士」については、上野英信*1天皇陛下萬歳 爆弾三勇士序説』をマークしておく。