炭鉱@目黒

目黒区美術館*1に『’文化’資源としての〈炭鉱〉展』を見に行く。「Part.1-〈ヤマ〉の美術・写真・グラフィック」、「Part.2-川俣正コールマイン・プロジェクト 筑豊、空知、ルールでの展開」及びポレポレ東中野*2での「Part.3-特集上映 映像の中の炭鉱」からなる。
「Part.1-〈ヤマ〉の美術・写真・グラフィック」−−「炭鉱」ということで、炭鉱に纏わる絵画、写真、グラフィック(例えば、資本側や労働組合側のポスター)がこれだけ多種多様に集められたのは初めてのことなのでは? 炭鉱についての絵画・写真という場合、外部のプロのアーティストによる炭鉱を主題とした作品のほかに、勿論炭鉱の中の人による作品もある。
後者に関して、圧巻だったのは山本作兵衛の炭鉱記録画が一挙に公開されていたこと。鉱夫だった山本作兵衛は60代から、昔の記憶を頼りに絵を描き始めた。その不思議な迫力のある絵たちの特徴は、膨大な説明文が配されていること。つまり、それらの絵は絵画作品というよりは、絵を伴った自伝であり、歴史叙述だったわけだ。因みに、山本作兵衛の作品を知ったのは中学生の頃で、当時NTVで放映されていた『遠くへ行きたい』という番組で、野坂昭如筑豊に(山本の発掘者・紹介者であった)上野英信山本作兵衛を訪ねるというエピソードを視た。そういえば、上野英信 の『追われゆく坑夫たち』を読んだのはかなり前だ。それから、1971年に「美学校」の生徒たちが菊畑茂九馬の指導の下に行った山本作品の(油絵による)「模写」も展示されている。

追われゆく坑夫たち (岩波新書 青版 391)

追われゆく坑夫たち (岩波新書 青版 391)

ほかにも、土門拳本橋成一の写真、吉増剛造の作品の印象も強かったのだが、やはり一挙公開された山本作兵衛の諸作品の迫力の前には霞んでしまった。
なお、この展覧会のカタログは関係者へのインタヴュー、関係テクストの引用を多く含み、読み応えがある。