鬼海弘雄

東京新聞』の記事;


鬼海弘雄さん死去 写真家「PERSONA」
2020年10月20日 07時24分


 市井の人々を被写体にした写真集「PERSONA(ペルソナ)」などで知られる写真家の鬼海弘雄(きかいひろお)さん*1が十九日、リンパ腫のため東京都渋谷区の病院で死去した。七十五歳。山形県出身。家族葬を行う。喪主は妻典子(のりこ)さん。
 高校を卒業後、山形県職員となるが一年で退職し上京。法政大に入り、哲学者の福田定良さんに師事する。大学卒業後、トラックの運転手をしたり、造船所や遠洋マグロ漁船で働いたりしながら写真を撮り始める。
 東京・浅草の浅草寺境内で、無地の壁を背景に撮影した肖像写真を収めた「王たちの肖像」が一九八八年、日本写真協会賞新人賞と伊奈信男賞を受賞。正方形のモノクロの画面で、市井の人々の内面を浮き彫りにするこの手法を長年続け、二〇〇四年「PERSONA」で土門拳賞と日本写真協会賞年度賞を受けた。
 自動車工場の期間工などで資金をためてインドやトルコにたびたび出向き、写真集「INDIA」で「写真の会」賞。海外でも高く評価され、米国の写真美術館が作品を収蔵、ポーランドやスペインでも個展を開いた。
 写真集に「東京夢譚(むたん)」「アナトリア」など。著書に「世間のひと」「誰をも少し好きになる日」「靴底の減りかた」「眼(め)と風の記憶」など。今年は北海道東川町主催の第三十六回写真の町東川賞に選ばれた。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/62938/

鬼海さんは既に昭和の内というか1980年代に写真家としてデビューしているのだけど、鬼海弘雄という名前とその作品をはっきりと意識するようになったのは、写真集『PERSONA』が刊行された頃だった。また、鬼海さんの写真は一時筑摩書房のPR雑誌『ちくま』の表紙に使われていた。「『ちくま』という雑誌は鬼海弘雄の表紙写真の迫力が凄いのだ」*2
PERSONA

PERSONA

また、『ブルータス』のインタヴューも参照されたい;



Shiho Nakamura「写真家・鬼海弘雄が撮影し続けた、市井の人々に思いを馳せて。」https://brutus.jp/article/894/35313