藤井眞翔「悲しみは悲しみを知る悲しみに救われ、涙は涙にそそがれる涙にたすけられる(金子大榮)」『サンガ』(東本願寺[真宗会館]*1168、pp.4-5、2020
金子大榮は明治から昭和にかけて活動した浄土真宗大谷派の僧侶*3。
「なんで人は死ぬんだろうね――」。父親を亡くした友人が私に問いかけてきました。突然のことで言葉に詰まってしまい、しばらくのあいだ沈黙が続きました。仏教を学んでいる私であれば、何か答えてくれるかもしれない。友人はそう思ったのかもしれません。しかし、友人が期待していたようには答えることができませんでした。
生まれてきたものは死んでいかなければならない。そのことは知識としては知っています。しかし、いざ悲しみのなかにいる友人から、「なぜ人は死ぬのか」と問われて、生まれてきたからだと返答することは、知識を答えるものであっても、友人の問いを満足させる答えではありません。二人の間にある沈黙だけが、その問いの答えを知っているかのようでした。(pp.4-5)
*2:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20091009/1255028837 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20140711/1405004794 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20171002/1506959528
*3:See eg. 清水山宝林寺『有り難き念仏者 金子大榮師』 https://hourinji.jimdo.com/%E6%9C%89%E3%82%8A%E9%9B%A3%E3%81%8D%E5%BF%B5%E4%BB%8F%E8%80%85-%E9%87%91%E5%AD%90%E5%A4%A7%E6%A6%AE%E5%B8%AB/ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%AD%90%E5%A4%A7%E6%A0%84