「沈黙だけが」

藤井眞翔「悲しみは悲しみを知る悲しみに救われ、涙は涙にそそがれる涙にたすけられる(金子大榮)」『サンガ』(東本願寺[真宗会館]*1168、pp.4-5、2020


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曰く、


「なんで人は死ぬんだろうね――」。父親を亡くした友人が私に問いかけてきました。突然のことで言葉に詰まってしまい、しばらくのあいだ沈黙が続きました。仏教を学んでいる私であれば、何か答えてくれるかもしれない。友人はそう思ったのかもしれません。しかし、友人が期待していたようには答えることができませんでした。
生まれてきたものは死んでいかなければならない。そのことは知識としては知っています。しかし、いざ悲しみのなかにいる友人から、「なぜ人は死ぬのか」と問われて、生まれてきたからだと返答することは、知識を答えるものであっても、友人の問いを満足させる答えではありません。二人の間にある沈黙だけが、その問いの答えを知っているかのようでした。(pp.4-5)
金子大榮は明治から昭和にかけて活動した浄土真宗大谷派の僧侶*3