「儒教」と「法」(メモ)

檀上寛『陸海の交錯 明朝の興亡』からメモ。


本来、儒教の天下観では天命を受けた有徳の天子が自己の徳(その実体化したものが礼)で民を教化し、民が各自の徳(礼)を実践することで天下が安定するとされる。漢代に儒教が国教化されると、従来儒家が排斥してきた法(刑)の行使が、徳の通用しない小人に対しては容認された。もちろん徳が主で法は従であるが、徳の限界を認めて法を不可欠なものとした点は、漢代以後の儒教の特徴として注意されてよい。爾来、皇帝(天使)は徳(礼)と法(刑)とをバランスよく行使することで、おのれの正当性を確保した。
とはいえ、儒教の立場では法はやむを得ず用いるのであって、法で民衆を統治するのが本意ではない。天子が徳治を目指しておればこそ、天子による法の行使は許された。だが儒教の論理が現実世界に転化した場合には、儒教の理念とまったく異なる状況が出現する。皇帝は法で民衆を統制し、徳治はともすれば法の行使を正当化するための手段にすぎなくなる。秩序維持には、法による強制が最も有効であるからだ。
言い換えれば、皇帝は徳治を掲げれば刑罰を行使できたわけで、歴代の王朝が刑法典の律を制定できた根拠もまさにそこにある。法家に見紛うばかりの朱元璋の政策も、儒教主義から必ずしも逸脱するものではなく、すべて儒教の論理で正当化された。じっさい彼の意識の中では自分は儒家の徒であり、法家の立場とは明確に一線を画していた。「いわゆる刑罰は世に軽く、世に重きなり」(『明史』刑法志一、原典は『尚書』呂刑篇)との彼の言葉は、徳治国家実現のための刑罰の行使だとの認識を、はっきり示している。(pp.29-30)
ここでいう「法治」が現在謂うところの「法の支配(rule of law)」とは関係ないことに注意されたい*1。また、中国人のみならず、日本人もこのような法律観の影響から離脱していないということも忘れてはならないだろう。

*1:rule of lawとrule by lawの差異についての唐亮『現代中国の政治』の記述(pp.79-80)も参照のこと。

See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180202/1517501183 ここでは、李澤厚「説儒法互用」(in 『歴史本体論・己卯五説(増訂本)』)にも言及している。