「新文化運動」は反儒家だったか

徐䔥「”新文化運動反倒促進了儒学発展” 学術界反思新文化運動 称運動宗旨併”反孔非儒”」『東方早報』2015年3月19日


1915年9月に陳独秀*1主宰の『青年雑誌』(後に『新青年』に改題)の発刊の辞「敬告青年」を契機に開始された中国の「新文化運動」はほんとうに反儒家的だったのか。最近の中国における儒学復興の中で、「新文化運動」を否定する意見も多くなってきている。しかし、「新文化運動」を否定することは現代中国を否定することであり、陳独秀中国共産党の初代の総書記であるように、中国共産党自体が「新文化運動」の産物なのだった。
上掲の記事は「山東大学儒学高等研究院」の黄玉順氏の見解を紹介している。
たしかに陳独秀「本誌罪案之答辯書」(『新青年』1919年1月号)というテクストの中でも「孔教」、「礼法」、「貞節」、「旧倫理」、「旧政治」は「徳先生」(Democracy=民主)に反する、「反対」の対象として挙げられている。「孔教」という言葉に着目しなければならない。陳独秀は「我們反対孔教、併不是反対孔子個人」と述べている。また、もっと後の1935年に魯迅は「在現代中国的孔夫子」というテクストを発表しているが、問題なのは「現代中国」における孔子であって、そもそも孔子が生きた古代に於ける孔子ではないということを意味している。陳独秀らが反対した「孔教」、その実際のターゲットは康有為*2だった。康は当時「孔教」を「国教」(state religion)とする主張を行っていたが、それは袁世凱復辟の策動と連動するものだった。「新文化運動」の人々が「孔教」に反対したのは政治的な挙動だったわけだ。曰く、


黄玉順認為、新文化運動興起的時期、正是康有為等倡立孔教活動的活躍期、二者之間是存在直接聯繫的。由於康有為等人主張把孔教奉為国教、列入民国的憲法、擁護袁世凱復辟、才引起新一代知識分子的憂慮和深思。1913年、袁世凱”天壇憲法”草案第19条規定”国民教育以孔子之道為修身大事”、在国会上引起争論:後来這一争論由国会発展到思想文化界、成為新文化運動的導火索。
また、

黄玉順注意到、新文化運動批判的”孔教”、基本上集中在儒学的”礼”的層面、就是社会規範及制度的層面、而不怎麼渉及”仁””義”等概念。更具体地説、新文化運動的矛頭所向、基本上是秦漢以後的帝国時代、亦即家族皇権時代的制度規範。
また、「新文化運動」による批判を潜ることによって、儒家は「民権時代」に適合した政治哲学や倫理学を発展させること、また近代哲学としての形而上学を発展することが可能になったという。

ところで、英語のConfucianismは直訳すると、孔夫子主義(孔夫子教)。或いは孔子主義(孔子教)。もしかして、Confucianismの起源は康有為にあるのでは? 康有為は儒家思想を、孔子を教祖とする宗教、「孔教」として再編成しようとしたのだった。