あの頃の

全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路 (新潮文庫)

全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路 (新潮文庫)

大方草*1百田尚樹は『ナイトスクープ』時代から杜撰でテキトーだった…プロデューサーが証言!」https://lite-ra.com/2015/07/post-1237.html


2015年の記事。あの百田尚樹は若い頃、『探偵! ナイトスクープ』の放送作家をしていた。タイトルにある「プロデューサー」とは、『探偵! ナイトスクープ』のプロデューサー、松本修*2である。記事は、松本氏の著書『全国アホ・バカ分布考』の百田についての記述を紹介したもの。この本を読んだのは既に25年前のことだし、その頃も今も、(本に出てくる)アホの坂田ならぬアホの百田についてあまり憶えてもいないので、少しメモしておく。


ここに一冊の本がある。そのタイトルは、『全国アホ・バカ分布考 はるかなる言葉の旅路』(新潮文庫)。同書は百田氏が構成作家をつとめる『探偵! ナイトスクープ』の神回「全国アホ・バカ分布図の完成」(1991年5月24日放送)の制作の裏側を同番組のプロデューサーである松本修氏が綴った本だ。この本では、松本氏による方言の広がり方についての興味深い考察が行われているのだが、それだけではなく、なんと百田尚樹という人物のお調子者っぷり、いい加減さも味わうことができる(味わいたいかどうかは別として)、貴重な本なのだ。

 そもそも、この企画がスタートしたのは、90年1月。はじめは、アホという言葉とバカという言葉を使う地域の境界線はどこか?という企画で放送されたのだが、当時の司会者の上岡龍太郎がさらなる調査続行を命令。そのチームの一員に構成作家である百田氏がいたのだが、松本プロデューサーは百田氏を本書でこのように紹介している。

〈構成陣を率いるのは、会議中、無駄口ばかり叩いている百田尚樹である。彼は昭和五十一年から四年間、私がディレクターをしていた『ラブアタック!』の“みじめアタッカー”として、全国に知られる学生のスーパースターだった。その当時から抜群のアイデアマンだったが、就職もしないままブラブラ遊んでいたのを、そんなことではいけないと番組を手伝ってもらっているうちに、いつの間にかこの世界に入ってしまったのである〉
〈彼は見上げるべき趣味人で、最近はコイン手品に凝っている。会議中にも練習を止めようとせず、失敗しては大きな音を立てさせてコインをあたりに散らばらせ、みんなの顰蹙を買っていた〉


ずいぶんはた迷惑な話ではあるが、それでもスタッフが百田氏、いや“百田くん”を重宝していたのは、〈鋭いアイデアのひらめき〉があったからこそ。ただ、一方で、相当に注意不足な人間でもあったようだ。たとえば、調査結果をもとにアホとバカの分布図をつくっても、〈ズボラな百田君らしい誤りがいくつかあった〉。しかし、この間違った分布図は、視聴者の郷土愛を多いに刺激した。

〈分布図が間違っているから訂正せよ、と抗議する人々も少なくなかった。百田君の杜撰な分布図作りがかえって幸いしたもので、これは貴重な発見だった〉

 そうして松本プロデューサーは、百田くんの“杜撰さ”を利用すべく、〈分布図作りは当分、百田君に任せておいた方がいいだろう〉と判断。なるほど、“バカとハサミは使いよう”とは、このことかもしれない。

纏めると、

このように、百田尚樹として認知される以前の“百田くん”とは、会議中に手品の練習をして顰蹙を買ったり、いいかげんな地図をつくって放送にのせちゃったり、勉強もしてないのに持論を炸裂&断言を繰り返したりと、“調子にのったらタチが悪い、困ったオッサンあるある”に数えられるような人物だったのだ。そこから成長もなく、ただ増長し、わずかにあった愛嬌さえ失ってしまった……それが現在の姿なのだろう。
日本の社会思想史の問題(笑)として重要なのは、百田は何時極右になったのかということだろう。すなわち、(英語圏のメディアで最近よく使われる言葉でいえば)radicalization、(オーソドックスな宗教社会学の言葉でいえば)回心(conversion)は何時だったのかということ。