原宿駅前

6月30日。


原宿駅(表参道口)*1
ところで、1924年竣工の駅舎はどうなるのか。2016年に公表された新駅舎完成予想図には現駅舎の影もかたちもない*2。しかし、新駅舎は現駅舎とは別の場所に建てられる。2018年4月に発表された松本典久「変貌遂げる原宿駅の秘密…●●は首都圏1位、「100年の美」は残されるのか?」*3では、


2018年3月末現在、原宿駅では外回り専用ホームの改築が進み、新駅舎の基盤となる線路を跨ぐ構造物の建設も始まった。今後の工事の進展によって歴史ある駅舎がどうなるのか、不透明な状況が続いている。

 JR東日本原宿駅改良工事を発表した直後、冨田哲郎JR東日本社長は記者会見で「原宿駅に新設する橋上駅舎は既存駅舎と違う場所に位置するので、工事への支障が少ない。新駅舎供用後に既存駅舎をどのようにしていくかは地元などの意見を聞きながら検討したい」との考えを示している。

と述べられている。2018年の段階でも「不透明な状況が続いている」ということだけど、2019年においてはどうなのか。
さて、米屋こうじ「原宿駅建替で都内最古の木造駅舎はどうなる」*4から、「明治神宮」と「原宿駅」との関係について述べられた箇所を切り取っておく;

改札口を入り、跨線橋を渡ってホームに降りると、ゆるやかな風に乗って木々の匂いが薫ってくる。ホームの西側は“常磐の杜”と呼ばれる、緑豊かな明治神宮の敷地に接しており、木々の精気がホーム上まで流れて来ているようだ。

1912年7月30日、明治天皇崩御。陵墓は京都の伏見桃山陵に置かれたが、東京の代々木御料地に、明治天皇昭憲皇太后を御祭神とする明治神宮が造営されることとなった。

およそ100年前、代々木の一帯は広大な荒れ地だった。その荒れ地に約10万本という木々を植栽し、鎮守の杜にする仕事を成し遂げた中心人物が、林学博士で造園家の本多静六とその教え子たち。本多静六は日本で最初の鉄道林(吹雪防止林)を提言した鉄道林の生みの親でもある。

人工林となる鎮守の杜を、東京の環境に適した樹種とし、自然更新しながら永久に続く森となるよう綿密な計画が練られた。「明治神宮御境内林苑計画」と題された計画書には、100年後、150年後の森の姿が描かれ、これに基づき植栽が実行された。