『スポーツニッポン』の記事;
高島忠夫というと、やはり『ゴールデン洋画劇場』の解説、また『クイズ・ドレミファドン!』の司会なのだけど、役者として特に印象が残っているのは、『細うで繁盛記』の板長の役。
高島忠夫さんが26日に死去 88歳 老衰のため
6/28(金) 11:45配信 スポニチアネックス
俳優の高島忠夫さん*1が老衰のため26日13時1分に自宅で死去した。88歳。所属事務所が28日にファクスで発表した。通夜・葬儀告別式は遺族の希望により27日に「家族のみで密葬を執り行った」としている。
所属事務所はファクスで「妻・寿美花代の『最後は家族で見送りたい』という希望により、6月27日に家族のみで密葬を執り行いました。尚、お別れ会などの開催の予定はございません」と報告した。
高島さんは、1951年に映画会社新東宝のニューフェイス「新東宝スターレット」の第1期生として芸能界入り。翌52年、映画「恋の応援団長」でデビュー。同年に「チョイト姐さん思い出柳」で初主演し、以後新東宝で主演級の歌うスターとして活躍した。
妻で女優の寿美花代とは寿美が司会のテレビ番組「季節のミュージカル」にゲスト出演したことから知り合い、2年間の交際を経て63年に結婚。64年に生後5カ月の長男・道夫くんを当時17歳の家政婦によって殺害されるという事件に見舞われたが、悲劇を乗り越え、現在は俳優として活躍する次男・政宏、三男・政伸をもうけた。
糖尿病、アルコール依存症のほか、71年から続けて愛着のあった仕事である「ごちそうさま」の司会交代や母親の入院などがきっかけで、98年に重度のうつ病を発症。また、パーキンソン病や、2010年には不整脈のため心臓にペースメーカーを取り付ける手術を行うなど、病とも闘い続けた。
▼高嶋政宏のコメント 病院からの、あと5分後にご家族集まってください!のエマージェンシーコールが頻繁にあるようになったのが2年前。その度に全身が総毛立つような感じにはなりましたが、ここ数ケ月、寝たきりの状態が多くなり、呼吸も弱まり、母曰く最後は眠るように旅立っていった、のがせめてもの救いです。マスコミそして父のファンであった皆様、報告が遅くなりましたことお許しください。ありがとうございました。
▼高嶋政伸のコメント 父は、最後まで明るく良く通る声で笑ったり、話したりしながら、大好きだったフリオの歌声に包まれて、本当に穏やかに旅立ちました。このような穏やかな最期を迎えられましたのも、長きにわたり父、高島忠夫を応援して下さった皆様のおかげだと思います。心より感謝を申し上げます。
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