75歳で「老衰」

『ORICON NEWS』の記事;


イラストレーター河村要助さん死去
記事提供:ORICON NEWS

2019.06.10


 西武百貨店やパルコなどの広告や『MUSIC MAGAZINE』の表紙を制作し、1970年代に数多くのインパクトのある作品を発表してきたイラストレーターの河村要助さん*1が、今月4日に老衰のため死去した。75歳。9日に親近者および成年後見人で密葬が執り行われた。

 河村さんは1944年生まれ。東京芸術大学美術学部(ビジュアルデザイン専攻)を卒業後、グラフィックデザイナーとして広告を制作。「ヘタウマ」ムーブメントを牽引した一人として数々の作品を発表し、大きな注目を集めた。代表作はニッカ「黒の、50」やJRAキャンペーンなど。後年は表舞台から姿を消し、“伝説のイラストレーター”と評されていた。

 また、文筆家としてサルサを中心としたラテン音楽、ジャズなどに関する評論・エッセイに定評があり、特にラテン音楽においては筆頭の存在。サルサの日本での普及にイラストと文章で大きく貢献した。

 なお、河村さんを偲ぶ会が後日執り行われる予定と発表された。
https://www.asahi.com/and_w/entertainment/ent_615571/

75歳で「老衰」とは! 一応驚いてみたけれど、これはその死が安らかであったことを示しているのだろうか。英語でいえば、to die of natural causesということになるのだろうか。
河村要助といえば『ミュージック・マガジン』。表紙を描いたひとりのイラストレーターが雑誌のイメージを読者に決定的に刻印してしまうということはよくある。しかし、河村要助の『(ニュー・)ミュージック・マガジン』ほど強い印象というのはなかったように思える。それには、谷内六郎と『週刊新潮』、和田誠と『話の特集』も敵わない。そういえば、河村さん、トッド・ラングレンの顔を描いていたな、と唐突に思い出した。
たしかに湯村輝彦*2とはほぼ同世代だったけれど、河村さん自身は「ヘタウマ」*3ではなかったと思う。
See also


「伝説のイラストレーター河村要助氏、逝去。」http://p-vine.jp/news/20190610-120000