或る考古学者

渡辺鋭気*1『市民・労働者の日常と保安処分』(刑法改「正」―保安処分に反対する長野県百人委員会、1984)というパンフレットで、渡辺氏は以下のように述べている;


私は、ある本を書くために、今、ある考古学者の生涯を取材しています。もう亡くなった方です。有名な方で、ある国立大学に勤めていました。この方はある時、今までと全くちがった学説をうち出しました。ところがこの学説は従来の考古学とは異質であったために「不謹慎」だあるいは「精神的におかしい」という教授会の弾圧を受け、教壇を追われます。なぜ追われたか。これまでの学説に異を唱えたからです。従来の学説に「異議を唱える」ことは、これまでの学説で”善”としてきたことがらを否定することです。それは教授会にとって、非常に腹立たしい事であったし、メンツのつぶれる話しでもあった。それで「この学説に日の目を見せないためには、大学教授を精神障害者に仕立てる以外にない」――と、ある国立大学の精神科の鑑定にまわされます。教授会は大学の中で大へん力を持っていますから、教授会の決定で鑑定に附されることは、その医学部自身が教授会の意向に沿った鑑定書を作るということでありましょう。私はこの”鑑定書”というものは、医学界における最大の謀略だと思う。案の上(sic.)、その医学部はその教授に対して「精神障害者である」という鑑定を出した。日本の各種の法律は「精神障害者」が教師になることを禁じていますから、「精神障害者を教壇に立たせる訳にはいかない」――ということになり、文部大臣に罷免要求をあげて教壇を追われた訳です。その鑑定書のコピーは私の手もとにもあります。
この教授追放のいきさつは私たちに多くのことを教えてくれた。大きな一つの流れに逆らうことがいかに困難であるかということです。それが優秀な学説、あるいは新しい学説であっても「今」教授会で一般的といわれていることに異議申し立てすると、異端のレッテルを貼って抹殺してしまう。そのことを物語っていた。こんな例は大学だけでなく、社会一般、地域社会、職場においても往々にしてみられます。今調査中ですからこれ以上詳しい話しをする訳にはいきませんけれど、こういう形である国体*2とか組織から個人が追放されるということは日常的に繰り返されている。昔から「職場八分」「村八分」がありますが、まさにその典型でしょう。(pp.3-4)
「ある考古学者」とは誰なのか? また、これほどまで面倒な仕方を用いて封じ込めなければいけなかった考古学の学説とは何なのだろうか。松本清張が知っていたら、小説のネタにしていたのでは?
それから、レヴィ=ストロースの『今日のトーテミズム』*3を思い出した。あと、メルヴィン・ポルナーの「お前の心の迷いです」*4
今日のトーテミスム

今日のトーテミスム

エスノメソドロジー―社会学的思考の解体

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