風評被害かも

承前*1

日刊ゲンダイ』の記事;


池袋を“暴走”し母娘の命を奪った元通産官僚「記念館」の真偽

2019年4月25日 15時1分 日刊ゲンダイDIGITAL


 東京・池袋で車が暴走し、松永真菜さん(31)と長女の莉子ちゃん(3)が死亡した事故で、松永さんの夫(32)が24日、都内で会見し、胸中を語った。

「悔しくて悔しくて仕方がありません」――。声を絞り出した松永さんの夫は、事故を起こした旧通産官僚OBの飯塚幸三元工業技術院長(87)に向けて、「私の最愛の2人の命を奪ったという、その罪を償ってほしい」と訴えた。

 ネット上では飯塚元院長への批判が続出している。

 元キャリア官僚の叙勲受章者という理由から、「罪を犯しても、一般人と違って“上級国民”は逮捕されない」との臆測まで飛び交っているほどだ。

 飯塚元院長にまつわる“ウワサ”は、それだけではない。ネット上で話題となっているのが、文京区にある「飯塚幸三記念館」だ。

 実際に存在するのか日刊ゲンダイの記者が現地に足を運ぶと、目の前に現れたのは7階建てのマンション。どこにも「飯塚幸三記念館」の文字がない代わり、入り口には「一般社団法人 日本淘道会」の看板が掲げられていた。

 実は、飯塚元院長は同会の理事長。「記念館」ではないものの、深いつながりがあることは間違いない。

 事情を聴くため、1階に入っている同会のインターホンを押すと、事務所の中から事務員らしき女性が出てきたが、「飯塚幸三さんの件で」と話しかけた途端、目を丸くして「ああ、それは……」と言い残し、奥へ戻ってしまった。その後、二度と応対に出てくることはなかった。

 板橋区にある飯塚元院長の自宅のインターホンも鳴らしたが、何の反応もなかった。

「日本淘道会」のホームページ(削除済み)によると、そもそも「淘道」とは、<自分の運を阻害する、性格における気質の偏り(気癖)を直し、自分の力で運を開かすことができる研鑽方法>だという。要するに、自分の欠点を知って修正することで、幸せになれるという考え方だ。

 何やらスピリチュアルな要素が感じられるが、「淘道」そのものは江戸時代から続く、歴史のある“修養”である。

 自己の欠点を見つめ直して、運を開く――。高齢でありながら車を運転し、母娘2人の命を奪った飯塚元院長にとって、これほど皮肉なことはあるまい。
http://news.livedoor.com/article/detail/16371566/

「日本淘道会」のサイト*2にアクセスしても、

指定されたページまたはファイルは存在しません。

・URL、ファイル名にタイプミスがないかご確認ください。
・指定されたページは削除されたか、移動した可能性があります。

これも風評被害だろうか。でも、はっきり言って、過剰反応であり、こういう身の隠し方をすると、何か疚しいところがあるんじゃないかと勘繰る人が増えるのは必定。その結果、こっちの方は逃げ隠れできないオフラインの本部に突撃する人も増えるんじゃなかろうか。この「日刊ゲンダイの記者」のように。
「日本淘道会」と関係があるのかどうか知らないけれど、『淘道開運修行』というサイトによれば、

淘道(淘宮術)は、一般的な占いとは大きく異なり、歴史と伝統に裏付けられた、自己修養、自己変革のための「秘伝」です。
淘宮術の基になったのは「天源術」です。「天源術」は、古来中国より伝わってきた相学、占星学、方位学を併せ、天台密教の僧で江戸初期の政治家としても知られる天海上人が体系化し、徳川家康、家光に対して帝王学として秘伝の奥義を伝授したものです。江戸時代を通じて軍学など共に「武士の嗜み」として重用され、足利学校などで武士の子弟に対して教授されてきました。
その天源術から出た開運の修行法が「淘宮術」で、1834年(天保5年)横山丸三が創始しました。
「淘宮術」の「淘」は、「洗練する」の意、「宮」は本心の宿る宮(みや)の意です。人は生まれつきの性癖(運気・命数)を洗練することによって、本心が顕れ、心身・気血の運行を良くし、幸福を得る…というのが、淘宮術の根本の教えです。精神の修養を旨とするので、「淘道」とも呼ばれています。
淘宮術は、明治から大正、昭和初期においては、実業界で成功した人間が多く信奉し、淘道を実践していた経緯があります。自己変革によって人生を成功に導く方法として、多くの人間の心を掴んできました。
本サイト「淘道開運修行」は、こうした淘道の本質である「自己変革の方法」を占い結果として伝授するものです。
http://todo.pit.jp/e/about/?uid=NULLGWDOCOMO
また、Wikipediaでは「淘宮術」の名で項が立てられている*3

淘宮術(とうきゅうじゅつ)は、天保5年(1834年)に横山丸三(まるみつ)が創始した開運のための修養法で、「淘」はよなげる、洗い清めるの意、「宮」は心の宿るところ、すなわち人体を表す。人は生まれつきの癖を洗練することにより、淘げのできた心、すなわち本心が顕われ、生まれつきの運命を改善できるとし、気質の偏りを矯正して幸福な人生を過ごすよう修養する。

江戸幕府御家人であった横山丸三は家族の不幸を機に同僚の天源学者である奥野清次郎(号:南卜(なんぼく))から運命論である天源術を学び奥義を極めた。その間に「もしも人生が天源術のいうようなものならば、人は授けられた運命のままで、なんら変化せず向上発展は望みがたい。むしろ進んで精神を修養し、気質の偏りを正すことによって得られる本心の啓示に従うことによって、人それぞれの本来の性能を発揮して運命を改善するべきである」という考えに至り、自身の体験から修養の効果を確信して「天源淘宮学」の名で公表した。11年後の弘化2年にはこの修養方法が学問ではなく、実践のための術であることを示すため、名称を「開運淘宮術」に改めた。嘉永元年(1848年)には入門者が1000人を超す勢いであったが、当時は開国をめぐり世情不安定な時期であったため、幕府は神道儒教・仏教以外は異教を説くものとし、淘宮術も布教 を禁じた。しかし6人の高弟のうち特に佐野量丸(かずまる)、青木十丸(そがん)、新家春三(はるみつ)、飯田勝美(かつみ)の4皆伝がこの術を伝承し、明治時代に入って上記の禁は解けたため、それぞれ会派を成して後継者を育成した。当初は政府の指導により教派神道神道大成教傘下の講社として活動していたが、昭和19年に全会派を統合した社団法人日本淘道会が当時の文部省の認可を受けて設立され、以後同会(現在は一般社団法人)により淘宮術の伝承・普及が続けられている。「淘道」という用語は淘宮術を学び、実践することをいうが、「淘宮術」と同じ意味にも用いられている。