知っているもの、知らないもの

キングコング東京「石炭ストーブ」https://www.kingkong.tokyo/entry/2019/03/05/063314


曰く、


小学校一年生のころ教室にはまだ「石炭ストーブ」があった。

毎朝,日直が専用のバケツを提げて,石炭置き場までその日の石炭を取りに行った。
小学一年生にはかなりの重労働だったが,それを忘れたらストーブが炊けないのだ。
日直が当たった日の義務感は今でも鮮明に覚えている。

二年生になってそれまでの木造校舎から鉄筋コンクリートの校舎に建て替えられた。
それに伴いストーブは「ガスストーブ」になったと記憶している。

私も小学校低学年の頃は石炭ストーヴだった。また、1年生の時はプレハブ校舎、2年生のときは木造校舎。3年生になって、鉄筋コンクリートの校舎に移って、暖房もガス・ストーヴになった。また、3年生の教室には(白黒だけど)TVがあった。
因みに、自宅の風呂の燃料は小学校2年の頃まで石炭だった。その頃、改築が行われ、ガス風呂になった。
もしかして、私と同世代なのかと一瞬思ったけれど、私より幾つか年上なのではないか。私が知らないことを知っておられるようだ。


「電話」https://www.kingkong.tokyo/entry/2019/03/03/074540


曰く、


祖父の代から商業を営んでいた関係で,物心ついた時にはわが家に電話があった。
昭和30年代のことである。

ダイヤルなどない「壁掛け式」で,交換手を呼び出し相手方の電話番号を告げると電話を繋いでくれるという方式だった。

夕方ともなると近所の家からよく電話を借りに来た。
あらかじめ交換手にそのことを告げておくと通話が終了した後に料金がいくらになったかを指示する電話が返信されるのである。
外部から近所の家への電話がわが家に掛かってきて,電話の取り次ぎをするといういわゆる「呼び出し」もしていた。

「物心ついた時にはわが家に電話があった」よ。母親が電電公社で働いていたので。でも、「ダイヤルなどない「壁掛け式」で,交換手を呼び出し相手方の電話番号を告げると電話を繋いでくれるという方式」の電話は直接見たことはない。『となりのトトロ*1に出てくる奴ですよね。
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また曰く、

大学生の頃,ウイスキーといえばサントリーの「トリス」か「レッド」だった。

同じサントリーには他にも「ホワイト」や「オールド」というウイスキーがあったのだが当時の大学生にとっては高嶺の花だった。

当時の,サントリーの最高峰「ローヤル」に至っては神のウイスキーだった。

ウイスキーにも日本酒と同じく「特級・1級・2級」という等級があった頃で,これらのウイスキーはもちろん「2級」だった。

品質のせいだろうか,呑みすぎると必ず二日酔いになって苦しんだものである。
(「ウイスキーhttps://www.kingkong.tokyo/entry/2019/02/19/202922

たしか1970年頃、「レッド」のCMを盛んに視た記憶がある。少し遅れて(麦酒だけど)サントリーの「純生」。
私が本格的に酒飲みとしてデビューしたのは大学に入った1970年代末だけど、その頃、大学生のためのウイスキーだったのは「ホワイト」だった。「ホワイト」は1級で「オールド」(「達磨」)は特級だったけれど、「オールド」は先生に奢っていただくという感じだった。また、その頃、コーク・ハイというのが流行っていた*2。コーク・ハイのベースになっていたのは「レッド」クラスの安酒だったと思う。やはり「呑みすぎると必ず二日酔いになって苦しんだ」。