嵐の変容?

Hagex殺し*1を巡るエントリー。


在華坊*2「古来からのネット作法に総括を迫られているのかもしれない」http://zaikabou.hatenablog.com/entry/20180625/1529890030


この方も、「低能先生」の潜在的なターゲットである可能性が高かったらしい。
この中で、


ネット上でのヘイトスピーチ、様々な「問題ある表現」への対応を巡っては、昨今、各種議論が交わされていて、特に古式ゆかしいネット作法「荒らしは放置」の時代ではなくなっていることは、ある程度共有認識を得られてきたことなのではないかと思う。

荒らしは放置が今は通じなくなったの、個人的には「荒らしは相手に反応されたいから、反応しなければ消える」という点が、いまのSNSでは「荒らしは相手ではなく同じ荒らし同士でキャッキャしたいので反応しなくても勝手にエスカレートする」というふうにシフトしたからではないかと思うのだよな

— 春魔解丼 (@vespiking) June 19, 2018
https://twitter.com/vespiking/status/1008925992885239808

といわれている。そうなんだと肯きつつ、でも「低能先生」に当て嵌まるのかなとも思った。SNSと増田やブックマークは違うとはいっても、「低能先生」にお互いに「キャッキャ」しあう「同じ荒らし同士」のコミュニティが成立していたなら、リアルな包丁は必要なかったわけだ。
これとの関連で、


ニャート「誹謗中傷でしか他人とつながれない|匿名掲示板という「負のつながり」の場」http://nyaaat.hatenablog.com/entry/2018/06/26


というエントリーを読んだ。
ここでいう「Aさん」というのは「低能先生」のことである。


なぜ匿名掲示板で個人攻撃する人たちがいるのだろう、と考えると、Aさんのような人には、これだけのメリットがあるからだろう。


匿名で書ける
実名や半匿名で有名人などを攻撃すると、本人や「信者」から反撃されるが、匿名ならそれがない
実名や半匿名では、議論ができないと負けるが、匿名なら、論旨と無関係な属性(容姿など)を誹謗中傷するだけでよい
有名人は匿名掲示板など読まないが、それをよいことに「反論できない」と勝利宣言できる
同じような匿名の誹謗中傷を支持することで、一体感が生まれる
誹謗中傷や実力行使(自宅訪問など)が過激になるほど、支持される
最後の二つが重要である。


なぜ匿名掲示板での個人攻撃が過激化していくのかと言えば、そこに「承認」と「一体感」があるからだ。

誹謗中傷以外の「正のコミュニケーション」で承認と一体感を得るには、高い技術が必要である。

だが、誹謗中傷という「負のコミュニケーション」で承認と一体感を得るには、技術はいらない。

より過激になればいい。

その最たるものが、殺人なのかもしれない。

これも(最後を除いては)一般的には正しいのだろうけど、「低能先生」が主戦場としていたのはブックマークと増田であって、5ちゃんねるではない。増田はともかくとして、ブックマークというのは(ここの言い方で言えば)「実名や半匿名」の場だろう。「個人攻撃」の「過激化」の「最たるもの」として「殺人」が挙げられ、「低能先生」の結末が示唆されているのだけど、「個人攻撃」の「過激化」と「殺人」の間には相当に高い(棒高跳びしなければいけないような)ハードルが存在している。いくら「過激化」してもそれは「ネット弁慶」にすぎない。「低能先生」もそれを痛感していて、敢えて「卒業」して跳躍したわけだ。