「穴」は残った

国枝拓「旧石器人の「謎の穴」から見えるのは?」https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2018_0615.html


神奈川県横須賀市旧石器時代遺跡(3万年前)「船久保遺跡」で発見された人工の「穴」について。


この遺跡は、道路建設の際に小さな石器が発見されたことをきっかけに、5年前から発掘調査が行われている。穴は、地表面を数メートル掘り下げた3万年前の層に、くっきりと口を開けていた。土器はまだなく、当時の人々は主に石器を道具として、槍などで獲物を狩り、木の実を集めて暮らしていた。

穴は1メートル×50センチの長方形で、深さは2メートルほど。現代の成人男性がまるまる収まってしまうほどの大きさだ。四隅は見事なエッジが効いていて、輪郭を丹念にそぎ落としたように見える。意図的に作られた人工物であることが一目でわかった。

しかも、1つだけではない。調査した範囲だけでも13基あって、100メートルにわたって等間隔に並んでいることがわかったのだ。まるで巨大な柵か、頑丈な建物の柱を埋めた跡が連なっているようにも見えるが、3万年前にそんなものが作られていたとは考えにくい。

発掘作業を担っている「玉川文化財研究所」では、鹿を狩るための「落とし穴」ではないかと推測している。このような「落とし穴」は後の縄文時代の遺跡からも発見されている。

佐藤さん*1によると、この時期に作られたまとまった形の落とし穴は、鹿児島県の種子島静岡県三島市沼津市、そしてこの三浦半島でしか見つかっていない。

3万年前は氷河期にあたり、平均気温が今よりも10度近く低いとされているが、これらの地域は黒潮の影響で比較的暖かく、食料となる植物が豊かだったと考えられるという。
木の実などの食べ物が安定して採れれば、その場所に一時的にでも住みつくことができ、落とし穴を掘って獲物がかかるのを待つだけの時間的なゆとりができる。

また、佐藤さんは、今回見つかったような大がかりな落とし穴を作るには大勢の人手が必要で、指揮する人の存在が必要だったとも推測する。


「これだけの大規模な落とし穴を作る場合は、一時的にでも100人規模の集団を作らなければいけないと思います。しかも落とし穴ですから、一定の期間を一緒に過ごさなければいけない。旧石器時代の段階にしては、人口密度が高かったのではないか。今回の発掘によって、当時の社会も少しイメージが変わるんじゃないかなと思っています」
これと似たような「落とし穴」が縄文時代の遺跡から発見されているということだが、気になったのは、「旧石器人」と(新石器人たる)縄文人との関係。管見の限りでは、旧石器人と縄文人の関係は遠いという研究と、近いという研究が出ているのだった*2